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世界が裏返るとき 〜離人症についての覚書〜
あの日私は、慣れ親しんだ文脈から新しい文脈へと跳び移ろうとして、足を踏み外してしまったのだった。
これは私が若干8歳で見舞われた離人症についての物語だ。
「離人症」あるいは「離人感」という言葉を聞いたことがあるだろうか?
“自己、他人、外部世界の具体的な存在感・生命感が失われ、対象は完全に知覚しながらも、それらと自己との有機的なつながりを実感しえない精神状態。人格感喪失。(広辞苑第六版「離人症」)”
離人感については、「自分が人間でなくなったような感じ」とか、「世界との間に薄い透明な膜があって直に世界を見たり触れたりすることができない感じ」なんて言い方もよくされる。
そんな状態に、ある日突然気づいたら、私は既になっていたのである。
これは当人にとってみれば驚異的なことだ。
もし、ある日を境に環境が激変——例えば家族が死んでしまうとか、家が無くなるとか、犯罪被害に遭うとか、遠くへ引っ越すとか——するような事態に見舞われたのだったら、そんな精神状態になるのも当然だと私も思っただろう。
でもそうではなかったので——つまり何が引き金でそうなったのかさっぱりわからなかったので、私は途方に暮れたのである。
その状態が、何年の何月何日に始まったのかは、私にも定かではない。
しかし、この問題について、その後の三五年間——当事者としても臨床家としても——考え続けてきた立場から言うと、幾多の仮説を捨て去った後に、最後に残った仮説が、あの日(•••)なのである。
その日の日中、私は自分が何をして過ごしていたのか、一切覚えていない。多分他の日となんら変わりのない、特徴のない一日だったのではないかと思う。
ということは、朝祖父母に送り出されて登校し、授業を受けて、休み時間はクラスメイトと遊び、夕方には家に帰って宿題や親から課されたドリルをやり、または近所の友達と遊び、おやつを食べ、ピアノの練習をし、夕飯の食卓を家族で囲む——というような1日だったろう、ということである。
しかし、その日の夜中にふと目覚めたとき、私は「今なら親を殺すことができる」という考えと共にあった。
自分がどうしてそんなことを思いついたのかが自分でもわからず、私は少々焦った。
「今なら親を殺すことができる」
この命題の意味は明らかだ。親は寝ていて無防備だから、非力な私に親を殺すチャンスがあるとしたら今しかない。それはよく分かる。
しかしその一方で、「他ならぬこの私」にとっての「親を殺す」ことの意味——当然それが重要なはずじゃないか?——これがさっぱり理解できない。自分事なのに、まるで他人事のように実感が湧かない。
「何か僅かでも手がかりになるのなら」と、私は次のような思考実験を行うことにした。
「もし仮に私が親を殺すことができたとして、その時私の眼前にはどんな世界が広がっているのだろうか?」
「その世界は、今ここに現にある世界とどこが違っているのだろうか?」
道に迷った旅人が暗い森の中で見つけた一筋の光明——それがこの時の私にとってのこの思考実験だった。
実験結果の半分は、祖父母や親戚や学校の担任の先生の私への失望とか、少年院とか、そういう「親を殺した結果として」当然私の身の上に起きるであろう事柄で占められていた。
問題は残りの半分である。
「希望?」
「解放感?」
そんなありきたりの言葉ではとても言い尽くせない——それは、
この親と一緒では決して生きることが叶わない、かけがえのない私自身の人生そのもの——。
私自身の人生——それが具体的に何を指すのか、そこまでは分からない。ただただその感覚だけが痛いほど身に迫った。
私は結局親を殺すことはしなかった。
しかしその選択は、本当に自分と向き合って出した結論ではなかった。私はただ、こんな考えを抱いた自分自身が恐くなってしまったので、「何事もなかったかのように」——実際思考実験の他は何もなかったのだが——もう一度寝ることにしただけだった。
しかし、はっきり言ってもう後の祭りだったのである。
——森の中の一軒家から、私は生きて戻ることができなかった。
そう、間違いなくこのときから私は離人症になったのだ。
離人症という「世界からの意味の喪失」——それは、自分が依って立つ文脈(ストーリーと言ってもいい)の喪失から生じるのだ、と今の私は思っている。
あの日まで私は、自分に対する親の愛情や、親が基本的に自分を応援してくれる存在であるということを微塵も疑っていなかった。言い換えれば、そのような文脈(ストーリー)を「リアル」なものとして受け止めて私は生きていた。しかし、この日の思考実験の中で私は、「私が私自身になることを親が妨害する」という全く別のストーリーにリアリティを感じてしまった。
そしてこの新しいストーリーは、前のストーリーの一バリエーションや、前のストーリーに書き加えられたストーリーではなく、私にとって、以前のストーリーを粉々に打ち砕くような効果を持ったストーリーだったということである。
新しいストーリーによれば——親が愛している「私」というのはそもそも私自身ではなく、「自分の思い通りになる子供」としての「私」だけだ、ということになる。
これが意味するところは、「親の言うことを聞いていれば愛してもらえるんだからそれでいいじゃないか」というような単純なことではない。
まず、それはそもそも愛ではない。
新しいストーリーは、これまで私が「親に愛されている」と思っていたこと自体が幻想に過ぎなかったという見方を、私に突き付けた。
つまり、私がまだ幼く、明確な自分の考えを持たず、意思表示も拙いために、私自身と親の望む私との齟齬が、目に見えるほど大きくなっていなかったから、私が「親に愛されている」という幻想に浸ることができただけなのだ、という残酷な現実を突きつけたのである。
こんな悲しい話があるだろうか?
それでもまだ私は「親に愛されたい」と願っているつもりであったが、これも今思うとちゃんちゃらおかしい。
あなたは、あなたがあなた自身であることを邪魔するような人間を愛したり、そんな人に自分を愛して欲しいと願うことができるだろうか?
——私には無理である。
——少なくとも既に健康になってしまった今の私には。
だから、私が「親に愛されたいと願っているつもり」だったということは、「既に失われた過去の幻影をまだ引きずっていた」ということを意味しているだけであって、現実に私が親に対して願うことができたのは、せいぜい
「私たちの間には何の愛情もありません。ただ、出来るだけ私が過去の幻影に浸ることを邪魔しないでくれませんか? 私にはまだその幻影が生きるために必要なんです。どうか幻想をぶち壊しにして現実を突きつけないでください」
ということだけだったのである。
古い方のストーリーを私はまだ必要としていたにも関わらず、そのリアリティは既に失われており、新しいストーリーにリアリティを感じてはいるもののまだそれを採用することはできない——私はこうして、世界を意味づけるための文脈を失ったのであった。
私は二つのパラレルワールドの間(はざま)に閉じ込められてしまったのだ。