ダリの記憶の固執(1931)から思いついた掌編

 小学生になったばかりのAは、「時間にけじめがない」と担任の先生に叱られてばかりいた。こども園でもそのような評価を受けていたから、特段驚くようなことでもない。
 例えば給食をのんびり食べていて、掃除の時間になってもまだ食事を諦められないとか、数字を書く練習が気に入ってしまい、次の国語の時間になっても書き続けているとか、そういったことだ。
 Aには両親の他に、ずいぶん変わり者の祖父がいた。祖父は一日中、畳の部屋に座って書を書いている。Aのことは本当に可愛いらしいが、Aの両親とは話が嚙み合わないことも多い。
 例えば今日のおやつは何が良いかと聞かれているのに、いつまでも書に熱中していて生返事を繰り返し、いざ煎餅が運ばれてくるとケーキが良かったと言うことがあった。これには両親共にがっかりである。二人とも真面目な人種だから、受け答えはきちんとしなさい、周りに気を配りなさいというのが常なのだ。
 Aは、両親のどちらがこの祖父の血統なのかといったことには興味がない。「おじいちゃん」は「おじいちゃん」で、生まれたときにはすでに、畳部屋で書を遊び道具にしている身内として存在していた。
 それに、Aはこの祖父が大好きだ。それは祖父自身がしわの深いだけの子どものようで、Aの言うことを感心を持って聞くからだ。おそらくAの発音するところなら、たとえそれがロシア語でも右手に握った筆を止め、喜んで聞くだろう。

 ある日、祖父はAと二人だけの部屋でこう言った。
「約束できるかね?誰にも言ってはいけないよ」
 これから内緒話をするらしい。祖父はAの方に身を乗り出していた。
「お約束できるよ、おじいちゃん」
 Aも祖父の方に前のめりになり、きわめて深刻そうな表情を作ってみせた。

 祖父は神妙な顔つきになった。それにはどこかおどけたような雰囲気もある。
「おじいちゃんなあ、実は魔女の子どもなんだ。おじいちゃんのお母さんが、魔女だったんだよ。今でもピチピチ、若いまま、イタリアに住んでいるよ。いや、フランスだったかな」
「おじいちゃん、また嘘ついて!」
 Aはそういう話が大好きで、よく彼の畳の部屋にお邪魔しては、宿題に取り組みながら「ほら話」を聞いては笑うのだった。他にも、「おじいちゃんの奥さんは五人いた」だの、「体温を測るといつも34度台」だのという話があった。

 あるとき、Aは前述のとおり時間にけじめがつけられず、担任の先生が家庭訪問で告げ口したせいで、ついには両親にも叱られた。家出といえば家の中の祖父の部屋で、泣いて逃げ込むと、次のように訳を話した。
「僕は、時計を見なさいって怒られるんだ。時計、時計ってみんな言うけど、遠いところにあるからよく見えない。みんな、なんてわがままなんだ!」
 Aは視力が悪くて、時計のあの小さい針や、数字なんかがまるで見えないのだった。
「そうか」
 祖父に何よりつらいのは、可愛いAが泣くことだ。乳児の頃に泣いていたのとは違って、立派な理不尽にぶち当たって悔し涙を流している。
 しばらく考え込んだ祖父は、何度か書の半紙とAの顔とを見比べた。なんとかしてやりたいのだが、祖父にはたった一つの解決策しか浮かばない。
 やがて覚悟を決めたようなキリリとした顔をして、習字の筆をさっと取り出して、半紙に呪文を書き始めた。筆の動きは蛇のようにうねうねとうねり、そして魔法が生まれた。その漢字でできた呪文が、ついには半紙を抜け出して踊り始めたのだ。

 あっけにとられるAを後目に、祖父は文字たちに言う。
「いいかい、Aが見えるように時計をたくさん置いてきてくれや。たくさんだぞ!」
 墨で書かれた漢字の呪文たちは、前の者を追い越したり、軽やかにひらりひらりと身をかわしながら、Aが開けっ放しにした襖から出て行く。
 彼らがどうやったのかAは何も知らないが、その日以来、世界中のタオルが、なんと時計に変身してしまった。小学生のAの家でも、ハンガーにかけたタオルや、ママがソファーにかけていたものが、もれなく時計になっている。それも、ただのカチコチの時計ではない。だらりとした様子だが、針はしっかり動いている、布のような時計だ。

 さて、世の中の人たちは困った。とりわけ困ったのは時計屋だったが、それから数日もすると、「カチコチの時計」が欲しい人を相手に、市場はすっかり元通りになった。
 それからタオル売り場も困った。なにしろ全てのタオルが時計になってしまったのだから、当然だ。しかし「布のような時計」を洗濯機で洗っても問題ないと分かってからは、人間たちはうまく適応して、布時計で体を拭くようになった。
 Aはというと、祖父が世界中のタオルを時計にしてしまったと言っても誰にも信じてもらえないまま、今度は嘘つきと呼ばれるはめになった。それも畳の部屋に逃げ込んで泣いて話したが、当の祖父はその事件で、魔女のひい祖母に強く叱られたばかりで、今度は助けようにも助けられないのだった。
「ごめんなあ、おじいちゃんのせいで!」
 祖父は孫に、頭を抱えて謝った。Aの受難は、かくして続く。

おしまい。

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