見出し画像

バリ島ウブド-プロジェクト参加の旅-終-

9月1日、ついに会期終了。

搬出もまたまた一転二転して結局2日の朝搬出ということで1日は最後にウブド散歩をしたりパッキングしたりしました。
フライトの時間が朝早くだったことから2日に、14日間お世話になった宿を搬出をもって出発することに。
(最終日は空港近くのホテルに宿泊しました)

最初はあんなにつらくて心細くて帰りたかったけど名残惜しかったです。

宿からの景色


だから最後は、もう少しちゃんと宿としっかり別れをしたかった。
お礼をちゃんと伝えたかったです。
いや、もう本当、これってとっても大切な‥旅の重要な‥いわば儀式だと私は思うんですけど、それが許されない状況になってしまって少々腹立ちました😂
平面は9時までに搬出って聞いていたのですが?って。だから9時までに終わるように行き、8時30分には自分の作品撤収しおえていたんですけど9時すぎても全然搬出できたし、してるやないかーい。
って今、愚痴ってもしょうがないですけどね☆


あがる凧をただただみているのが好きでした

ウブドでの日々は
朝、鳥の声とバイクの音で目が覚め
朝焼け、夕焼けに感動したり
風の心地よさに時間を任せたり。

出だしで体調を崩してしまったので、それ以上健康が削れないようにできる限り生活を考えたことや、プロジェクトがあれこれ一転二転するので、それに合わせて動けるようにとも考えて極力ウブドを離れなかったこともあり、その分ウブドでの生活が濃厚で、感慨深いものになりました。

どこにいても過ごしやすさって自分で作るしかないんですね。

とくに私はルーティーンにするっとはまると逆にそれでしかなくなる質。
生きるために、健康を維持するために
どれほどだるくても、面倒でも水を買いに行き
腹が減ればどうすればいいのか考える。
会期云々関係なく、明日どうやって過ごそうか必死で
日本にいてあれこれ悩んでいたものは意味として持たず。

帰国したらこうしたい、ああしたい、という気持ちはありつつももウブドの生活は私にとって日常になっていったのです。

15日という時間は私にとって十分な時間だったと思います。

それでも唯一、フラストレーションが解消されなかったのがピアノです。
子供の頃からずっとそばにあって弾いてきたピアノ。
こんなに弾かなかったのは数十年前に上京したぶり以来で、帰国して目が覚めて一番最初に鍵盤に触りました。

夜明け前

何しにいったのか?
私は今回アーティストとしてこのプロジェクトに誘っていただき、展示をしにウブドにいったのです。

支持体こそ日本で刺繍していきましたが、イメージだけで仕上げようとせず
インドネシアで完成させたことは、このプロジェクトの目的とすることだと私は考えています。

あの緑は私がみた”インドネシア バリ島 ウブド”の緑。

楽しいよりも苦学が多い旅でした。

それでも、そう、”学”なんです。会得したものは大きい。

苦学にもならない理不尽も多かったし、それによって悔しさや疲弊することも多々ありましたが帰国した今、それをネタに私は酒を飲みながら大口あけて笑います。

夜でもにぎやか

15日は短いようで長い、しかし、一生のうちの15日なんて一瞬でしかない。


朝焼け夕焼けが本当に美しかった

搭乗不可能の事態に陥りながらも手続きをしてくれたシンガポール航空。

インドネシア語も英語もできなかったのに最後まで泊めてくれた宿。

気遣ってくれたプロジェクトメンバー。

日本から応援してくれた友人知人。

ウブドまで遊びにきてくれたよこちさん。

アルマ美術館やウブドで接してくれた皆様。

アルマ美術館にて


なんやかんや一番の応援をしてくれた家族。
娘が私が搭乗できないかものときに、どうにかしようと一緒に考えてくれたこと、母さん嬉しかったです。普段全然そういうタイプじゃないのに。

そして、プロジェクトに誘ってくれた下山さん。

この度は本当にありがとうございました。

帰国後、報告をきいてくださっている皆様にも心より感謝。
私は私らしく、今回の会得を確りと活動に繋げてまいります。

そして、いつかまたウブドに行きたく思います。

バリ島ウブド-プロジェクト参加の旅記事に
お付き合いいただきありがとうございました。





いいなと思ったら応援しよう!