私にとって「生きる」とは?
2022年5月19日、私にとって28年目の人生が始まります。
新たな私の1年が始まる節目として「生きる」について考えてみようと思います!
私が「生きる」を考えさせられたきっかけ
私にとって、「生きる」を深く考えされられた出来事があります。
人生で一番最初にあった出来事は、20年前の父親の死。私の父は当時、鬱病で仕事を休みつつ、なんとか病気を乗り越えようと治療を続けていました。
私が小学校2年生だった、20年前のある日。学童の春休みの遠足に行った帰りに先生から突然「今日は今から早く家に帰ってきて、って家の人から連絡があったよ!」と言われて家に帰りました。
遠足で楽しかった思い出いっぱいの中、ルンルンで家に帰ると、家に母はおらず、祖母・叔母など今日来るはずではなかった親戚が家に集まっていました。8歳でもわかった何かが起こった、何か変、、?という空気。
その時人が初めて「父親が死んだ」ということを告げられた時、その場ですぐに理解ができず、しばらくして亡くなった父に会いに行くことになり玄関を出た時、初めて父の死が事実だと理解ができ涙が溢れた瞬間。今になっても、思い出すと胸が苦しくなります。
幼いながらにも感じた人が死ぬという事実を受け入れる困難さ、またそこから私は10年ほど父親の死を受け入れて、前向きに生きることに時間がかかりました。
不意に来る何か寂しい・苦しい感情と闘う小学校・中学校・高校時代。
誰も責めることができないからこそ、わかっているからこそ、なんとか感情の波を抑えて耐える、少し違うことに気を紛らわせて生きることもありました。
「生きる」ことに触れられる進路を考える
父親の死・その後学生時代に経験した祖父の死から、突然の死を経験した思いがどこか心にはこんな思いがありました。
「なぜ人は病気になるのか」「私は病気になった人を支える使命があるのではないか」「看護師こそが私のやらなければいけない仕事なのではないか」
そうした思いから、周りの家族の声もあり、看護師になることを決意しました。看護師になることで、病気になる経緯や病気になった家族の人を支えられる、これから私の周りの人も助けられるようになるのではないか、そんな期待を膨らませて看護学校へ入学しました。
看護学校では、看護師として必要な様々な知識を学びました。様々な病気の機序や患者さんやご家族の方の心理について学ぶこと、時には状態が悪くなっていく患者さんを日々アセスメントし続け、家族の方と一緒に回復を願うこともありました。
そんな「生きる」ことについて学ぶことができる私にとって天職とも思える看護師の仕事のはずが、どこか違う違和感がありました。そこで、私は看護学校時代でより自分の中で印象的だった助産師を目指して看護大学への編入を決意し、看護大学の助産コースへと進学します。
看護大学での人生の転機と苦悩
看護大学では、3回生に編入しました。3回生では大学卒業に必要な一般教養や看護学についてを主に学んでいました。他の編入生以外の同級生は、3年次に看護実習に行くため、編入生として大学に来た私には多くの看護学以外の勉強に触れられる機会がありました。
その勉強のうちの1つで楽しかった経験が、高校時代からはしばらく離れていた「英語」の授業でした。私の通っていた大学には国際コミュニケーション学部があり、海外からの留学生も多く通っていました。大学のアルバイトとして、その留学生の支援やネイティブの先生から英語の授業を学べることにとても充実している生活をしている!!!ということを実感していました。
助産コースの授業では、次々と今まで知らなかったことが分かるという楽しさがありました。そんな中、私は4回生の夏の技術テストのプレッシャーとテストの直前に経験した叔母の死の精神的な負担をコントロールできず、大学4回生の8月に助産師の資格を取得することを諦めることになってしまいました。
助産コースを諦めた後に待っていたのは、助産師として就職予定だった病院の内定取り消し、専門学校でなりたいと思えなかった看護師としての就職をしなければならない現実でした。苦労して大学にも編入したのにも関わらず、その現実と向き合い、今後の進路と生き方を考えなければならないことになった私は、数ヶ月毎日朝から晩まで悩み続ける日々を経験していました。
なんとか就職先の病院を探し、採用試験を受けて内定をもらうことができ、卒業論文を提出した後の約3ヶ月。私には学生としての最後の春休みがありました。その春休みになんとか有意義な時間を過ごしたいと思い、私は残りの学生生活としてアメリカへ短期留学を決意しました。
憧れのアメリカでの留学生活
大学最後の春休み期間。私は、アメリカのオレゴン州で語学勉強と海外での母性看護学領域の勉強のため、短期留学をしました。
英語の勉強も、海外の人とも話すことが大好きだった私にとって、まさにアメリカでの生活は夢のような生活でした。
日々学校の授業を受けながら、卒業論文を要約・翻訳をしたり、卒業論文のテーマの海外事情の調査を含めて専門分野の方とも英語で話ができるようにビジネスメールを書いたり、休みの日はボランティアやいろんな海外の人と英語で話をしたり、ホストマザーといろんな場所に出かけたり、本当に英語の勉強に日々没頭している生活でした。
2か月半一緒に暮らしたホストマザーにも本当にいつも温かい言葉や貴重な海外での経験をさせてもらうことができて4年経つ今でも人生の中でも忘れられない大事な思い出です。
留学から帰ってきてから海外でもう一度どうしても英語の勉強や海外生活をしたいという思いが消えず再度長期留学を目指して、看護師として働き始めます。(資金確保のため、2年と設定。笑)
看護師としての働き方と目標に向けて
新卒で経験したのは、循環器内科・耳鼻科・糖尿病内科を主とする内科の混合病棟でした。看護師として・社会人として、多くのことを学ばなければいけない環境+3交代という不規則なシフト勤務+循環器の勉強を看護学生時代避けていた中で勤務することはもちろん容易なものではありませんでした。
ただその中でも、1年目・2年目看護師でもできることとして、日々患者さんと向き合い、患者さん・ご家族の方が退院してからの生活がより良くなるようにと奮闘の日々でした。
看護師としての経験を重ねるにつれて、自分自身が成長できていると感じられていたのですが、同時に不規則な勤務時間に合わせて生活をすることや、病棟看護師としてできることの限界、自分自身が「生きたい」生活ではないことを感じていました。
その中で、やはりこのまま看護師として病院で働くことは違う!自分がもっと生きることを実感する日々を送りたいと思い、看護師として2年が経過した2020年3月末にアメリカへの再留学へ向けて病院を退職しました。
夢が消えて、悩む日々と人生の転機②
退職した後、次に待っていたのは世界中を襲った新型コロナウイルス。
6月には渡米しようとしていた私も、フライトがコロナの影響で長期間キャンセルとなり世界中が不安定となる日々に留学を断念しなければならない状況となります。
留学を断念してからの私には、「無職・看護師経験2年」のみしか残っておらず何も動けない・何もできない状況でした。
そんな時に、一般企業も働く場所として候補に考えてみることを姉から聞き一般企業への転職活動を行い、医療系IT企業へと足を踏み入れました!
※当時、自己分析した内容や私の転職活動については以下よりご覧ください!
28年目の人生、「生きる」とは?
転職先として選んだ医療系IT企業(現在の職場)では、ホームページのディレクションを行ったり、ホームページのアクセスデータの分析・新規事業のCSなど異業種・未経験業種でとにかく日々勉強と実践を経験させてもらいました。
看護師としての臨床現場から離れて企業で働き続けている今、改めて、私の中での仕事・生活・これまでの経験から「生きる」ことを再度振り返ってみました。
もちろん仕事も今の生活では大事なのですが、今回のテーマでもある私にとって「生きる」とは?を考えます。
家族の死、生きるを追求した学生時代、変化を求めて奮闘する日々の中、改めて今の自分にこの問いを出した時に以下の答えが返ってきました。
私にとって「生きる」とは?
自分の想像の範囲を超える経験があること
普段の日常生活では、思いもよらなかったチャンスが得れること
周りの環境(人・モノ・環境)を感じることができること
「生きる」ことは本当に難しいと私のこれまでの人生経験で痛感しています。そして、最近のニュースで聞く人身事故や交通事故、様々な著名人の死からも、予測できない形でこれからも私は人の死を知ることになり、自分自身の生き方について考えさせられるのだと思います。
ただ、その中でも自分自身が「生きる」ことができた1日であったのか、何か自分自身が少しでも「生きる」ために努力できた1日であったのか、そんな1日が積み重なった1年にしたいと思います。
28年目の挑戦
私は、今、看護師という資格を持ちつつも、IT企業での勤務をすることを選択し続けています。そして、また自分自身が持っていた夢である海外滞在生活に向けて奮闘しています!(看護師として再度働いてみることも視野にも入ってきています。)
まだ計画途中ですが今の仕事を続けながら、もう一度海外に私は行きます!海外でお世話になった学校の先生・ホストマザー・友達に会ったり、様々な国の文化・歴史・生活を学んで、今の環境では経験できない人・モノ・環境に出会い、より深く私の人生を色濃くしていこうと思います。
まだまだ私の人生は、始まったところです。そして、まだまだ私には無限の可能性があると思っています。
そんな日々を楽しみにして、充実した28年目の人生を歩めるように今日もまた精一杯自分を楽しませる生活を送ります。
そして、何よりも私は一緒に過ごす期間は少なかったものの日々私に「生きる」ことの大切さ・楽しさを教えてくれた父に感謝をしています。
いつかまたどこかで、父と会えることを楽しみにしつつ、私は自分の人生を生き切った!と胸を張って自分の一生を終えられるって言える人生なるように私は今日を生きます。
28年目の私も頑張ろう!!!私がまず、自分の背中を全力で押します!
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