arisa
ダイエットについてまとめてます
プラスサイズモデル 数年前から目にする言葉だ。 痩せている事が美しいことではない ありのままの自分で生きることが幸せ なにも否定するつもりはない 不健康なガリガリより、健康体である事の方がいいというのは同意見だ。 尚且つ心の健康もとても大切であると言うことも。 プラスサイズモデルには強いメッセージ性がついてきているように思う。 それについて浅はかな考えかもしれないが、逃げではないよね?と感じる時がある。 人の体質や骨格なんかは皆違っていてそれこそ十人十色。 人種
何年も前に見たアニメのシーンが忘れられずにいる。 そのアニメは【十二大戦】 詳しい内容は忘れたが十二支が戦う物語だ。 そこでの丑さんの言葉 『①すると決めて、②する』 その前後の台詞もとてもいい。 私は数年前、国家資格取得のために日々や実習に追われていた。 疲れ切った日常での私の癒しはアニメだった。 昔から今現在でもアニメ大好きなのだか。 (呪術廻戦楽しみですね♡♡♡) その時にたまたま見ていた十二大戦のこのセリフにとても励まされたのを覚えている。 励
正直私はノリが悪い方だと思う。 やりたい事はすぐ実行するタイプ。なのでフットワークは軽い方だか、なんせコミュニケーションが苦手である。 気が許せる友達は数名。 とにかく狭く深く。 初対面でも一応は盛り上がれるが、一人になった瞬間撃沈するほど気疲れしている。 食事の誘いは結構断っている。 こんな私を誘ってくれる友達には本当に感謝するが、気が重過ぎて行けないのだ。 ひとりで行動する事が最高!と思いながらも、知らない人とでも交流する事に喜びを感じられる人を本当に凄いと
占いとか信じません。って言う人、正直羨ましいです。オーラとか言ってる人って胡散臭い。って言う人、とても羨ましいです。そういう世界を垣間見つつ生きています。
他人と過ごす時間が長くなる頃気付いた自分のこと。 私は潔癖ではないし完璧主義ではないが、物事を統一させたい気持ちが強い事に気づいた。 きっかけは職場での出来事。 フェイスタオルを使う機会が多く毎日洗濯をする。 そのタオルのたたみ方や端が揃っていない感じにやけにもやもやする。 他人がたたんだタオルを後からこっそり直さないと気になって仕方がないレベルだ。 ある時タオル10枚中6枚ほどが裏を向いてたたんであった。 その時私は、今までの私が思う裏表の概念が逆だったのか???
ルッキズム[1](英: Lookism)とは、「外見にもとづく差別」であり[2]、特に「身体的に魅力的でないと考えられる人々を差別的に扱うこと」を指す[3]。外見至上主義という呼称もほぼ同義として扱われる[4]。 (Wikipediaより) 別に差別をするわけではない。 それと私自身の事は完全に棚にあげている。(ごめんなさい) ただ私はルッキズムという思想が強いのかもしれないと思いはじめた。 みんなそうなのでは?と思っていた。 だって最初の3秒で第一印象が決まるでし
とんでもないくらい落ち込む日がある。 とんでもないくらきやる気のない日がある。 とんでもないくらいムカつく日もある。 そして何をするわけでもなく過ごすソファーの上で私はただ虚しくなる。 もう無理だーーと思う日によく思い出す文がある。 「衣食足りて礼節を知る」という言葉からわかるように、人間の生活のベースは「衣・食・住」にあります。母親のお腹から生まれた赤ん坊はます産着を着せられます。その次母親のおっぱい口にし、寝床で眠ります。私達の生活「衣」→「食」→「住」の順で始
さて、昨日ダイエット頑張るぞ!と記事にしましたが、先程、えぇ寝る前の先程ですね、カップラーメンと海鮮丼を美味しくいただきました。どうぞ皆さん応援しててください😇
ダイエットをし続けるために太ってるんじゃないかと思うくらい年中ダイエットという言う言葉がつきまとっている。 さて、去年はバターコーヒーを用いたダイエットをしてみたが今はやっていません。 やっぱり太ってるのには訳がある! 私はもぐもぐとご飯を食べるのが好きなんだ!! 朝ごはんもちゃんと食べたい気持ちからバターコーヒーで間欠的ファスティングをするというダイエットは辞めました。 そして、ここ最近は本当に王道! 食事と運動で健康的に痩せる もう変な事はせず、太らない習慣
ふと昔のことを思い出した。 小学生の頃、図工の時間に粘土で作品を作った。 私は、馬か牛かカバか豚かそれとも他のなにかの動物を作ったのだ。 クラス皆の作品はしばらくの間教室の後ろ、ランドセル入れの棚の上に並べられた。 私の作品だか、その何かの動物の横に『餌』なるものを小さく丸めた粘土で作って置いていた。 小学生の頃は、学校で飼っている動物の餌やり当番があった。 その餌やり当番が好きだった。 動物のそばには餌を置いといてあげたかった、または粘土の動物にさえ餌をあげた
どうしても楽をしたい時がある。 なるべくならずっと楽をしていたい。 しかし楽な方を選べば、自分がダメになっていくような気がするのだ。 私はほぼ毎日、コンビニに寄って晩ごはんを買うか、スーパーで買い物をして自炊するか葛藤している。 仕事からの帰り道、気力が残ってない事は共感していただけると思う。 だいたいコンビニに行った時にはご飯+デザート(時にはビールも)を買い、晩ごはんを食べ終わった頃の満腹感と使った金銭に罪悪感を抱く。 コンビニで罪悪感を買っていると言ってもい
仕事を終え、意識朦朧とする中スーパーに寄って帰宅する途中だった。 街灯が少ない夜道の中、暗闇から現れたそのスピードに私は驚いた。 少年が走り去ったのだ、ものすごい前傾姿勢の。 小学3年生くらいかな? 前傾姿勢の角度がすごく、コケる途中かと思うほどだった。 その少年は確か右手を前に、拳を突き出して走っていった。 きっと何かになりきっているのだろう。 昔はなかっただろうか。 自分が何か特別な力を持っているかもしれないと信じていた時代が。 あの少年は何になりきってい
最近ではウイルス感染者も減ってきていて、飲食店での時短営業が緩和、アルコールも飲めるようになってきた。 外食を控えましょうという世の中になって、リモート呑み会なるものが出てきた。 人々は外食ができない事、特に夜の呑み会ができない事にストレスを感じているようだった。 そんな不満が募る世の中で生活をしていて、数ヶ月後ふと私には何のストレスもない事に気づいた。 むしろ気が楽だった。 Instagramのストーリーには毎日のように呑み会のシーンが流れてくる。 それを見ると
これは単なる独り言でとてもバカバカしい。 私が日々を少しでも気楽に過ごせるように行う ライフハックである。 生きていれば何かしらストレスはある。 ストレスとはそもそも物理分野の用語。 外側から圧力がかけられて歪みが生じた状態。 ストレスと聞くと、人や動物が受ける物理的、精神的な負担だと私を含め多くの人が想像するのではないだろうか。 ストレスがある事は決して楽ではない。 プレッシャーを感じたり、憂鬱だったりで胸の辺りがどんよりする。 その反面で行動する上での理由づ
特別な感情は持ち合わせていない。 生理的に無理というわけでもなく、その男性はむしろ世間一般からはイケメンの部類であろうと思う。 ただ私には刺さっていない。 男性と書いたが年下で可愛い感じだったので私からすれば男子という感じだ。 「ぼくの部屋で飲み直そ?」 流れで行き着いた部屋。 でもわかってた、こうなることは。 その男子は『もう無理。。』と私に覆い被さってきた。 私はどうでもよかったが、少し乾いた日常に刺激が欲しかったので受け入れた。 この子が今までどんなSE
【推し】 人やモノを薦めること、最も評価したい・応援したい対象として挙げること、または、そうした評価の対象となる人やモノなどを意味する表現。 国文法的には「推し」は動詞「推す」の連用形、あるいは、「推す」の連用形を単独で名詞として用いる表現である。 近年の美少女アイドルグループのファンの中では自分の一番のお気に入り(のメンバー)を指す表現として「推し」と表現する言い方が定着しており、昨今ではドルヲタ界隈の用語の枠を超えてアニメキャラや球団を対象に「同種のものの中ではこれ