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朝になって夢からさめて

朝、ごみ出しに外に出たら夏の朝の空気がしてとてもきもちよかったです。
さいきん朝ごはんにオートミールを食べはじめました。ひとによっては苦手らしいですが、わたしはけっこうすきな味です。きょうは納豆をのっけましたが、和でも洋でもいけるのは心づよいですよね。腸内環境が劣悪なので、改善されるとうれしい。

きのう心配していた電車は無事に座れました。
ひとつめの電車でいつもどおりTEDをきいて、ふたつめの電車できのう帰りに買った、江國香織さんの「とるにたらないものもの」を少し読む。いちばんすきな作家(わたしはなんでもいちばんを決めたがる)、江國さんかもしれません。

おそらく、ことばのえらび方がしっくりくるのだとおもいます。読んでいて落ち着く、安心する、なにより登場人物が魅力的!です。わたしもこうなれたらいい。
じぶんの軸をしっかり持っていて、それでいて軽やかなふうにわたしもいたい。
みっつめの電車で「わるいひと」プレイリストをつくってぼーっとしていたら終わりました。

ビール、飲みにいきたいですね。仕事はうまくできた日だったとおもいます。ひととうまくコミュニケーションがとれるとそれだけでうれしい。しあわせのコップがちいさいのか、すぐにいっぱいになる気がします。
きょうもお弁当にかぼちゃ煮入れていたので、うれしかった。そして早く帰りました。

じぶんがいやだと思うことを、がまんしてやってまででないと手に入れられないものなんて、ほんとうにほしいものなのだろうか?と、さいきんよく考えています。
それともいやなことを乗り越えた先に、もっとしあわせがあるということなのだろうか?とも考えます

たぶんわたしは、対価があることに耐えられない。いやなことの対価にしあわせがある。対価があるということは、そこにプレッシャーが発生している(期待とかそういうものに応えなければならない)ように感じてしまうのかもしれない。
関連して、努力は必ずむくわれる、むくわれない努力は足りていないからだ、という考えがとても苦手で、それも対価に関係しているからなんだとおもいます。
きれいごとかもしれないけれど、無償の愛、めざしていきたい。

https://open.spotify.com/track/25WGvZRgjZrMHoPpAu4Ioq?si=mTt3Dm-yRcO-askSEC6mkw

朝になって夢からさめて / カネコアヤノ

カネコアヤノも、じぶんの軸がしっかりあってそれがぜったいにゆるがない(と、わたしはとらえています)ところがつたわってきて、とてもすきです。
「あなたと出会ってしまったね」、おしつぶされちゃいそうな気持ちになる歌詞です。わたしもそんな出会いをしてしまったと、さいきん思ったからかもしれない。
この曲はこのまえの、森道市場のライブ配信できいて、あらためて、い〜な〜!となりました。

また長くなってしまったかもしれない。ゆでたまごの殻をむいてから寝ます。それでは!



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