それでも大丈夫の一言が欲しいしないと寂しい
ありんごです
夏バテの中、最近知り合った人に返せていなかった返信を返した
1行目はこんな感じ
「夏バテで熱中症一歩手前でした」
その後、元のメッセージへの返信を記載した
その人からの返信は
「大丈夫ですか?」
から始まっていた
私は何故だかホッとして、笑顔になった
私の世界は、私を大切にしてくれる人で構成されるよう、メンテナンスしている
私は私の世界をそういうふうに保つことを至上命題にしている
だから、時にはその世界から誰かを何かをどかさなくてはいけない時がある
他の誰でもない、自分のために
もしも私が、熱中症の話をスルーされていたら、きっと即座に私は「この人は私の世界には入れられないなあ」と思っていたと思う
別に世界からどかすというのは、危害を加えるわけじゃない。ただ距離を置く。付き合わなくするだけのこと
でも、少し消耗するから、後回しにしたくなることもある
だけど後回しにすればするほど私の世界は邪魔されるし、世界からどいてもらう時にも大変だってこと、私はもう知っている
厳密には「大丈夫?」という言葉に拘っているわけじゃない。気遣いのニュアンスが、欲しいんだ
大丈夫って言われるの、そんなに大事?本当に思っているのかなあ?とか、ただ言ってるだけかもよ?とか突っ込まれることもある
その意見は意見で尊重したい。だけど私は、「大丈夫?」って一言表現することを怠る人と一緒になんていられない
だってそんな人といても、寂しさが増幅するだけだから
人は絶対的に孤独だからこそ支え合うし、それ以前に自分で自分を満たしてぐらついてでも立っていられるように頑張るのかなって思う
余計に寂しくなる人と長くはいられない
表現を怠る人は私の世界の足を引っ張る人だ
もし後から「心配してたよ」なんて言われてもそれこそ相性が悪いなって思うだけだ
「何で伝わるって思ったの?表現だって行動じゃん」そう思うだけだ
言葉がなくても即座に代わりに行動するなら、それも例外としてありだけど、隣にいるわけじゃないなら行動までタイムラグができてしまって、そしたらきっと「あの時寄り添って欲しかったな」って思うだけだ
自分の根元にある寂しさはどんどん認めていきたい。寂しさと共存したい。それで初めて誰かと共存できる
だから寂しさに寄り添えない人とはいられない
でも期待だけするのもフェアじゃないから、自分の気持ちはどんどん伝えるし、こういう時こうしてもらうのが嬉しいって率先して伝える努力をしている
そういう努力は、本当に楽しい
世界が変わっていくのがわかるから、楽しい
寂しくたって良いし、幸せになれるんだ
ありんご
✳︎ヘッダー画像のシロクマとスイカが可愛すぎてずっと眺めていたいです。フルサイズでお借りしたかったくらい。ありがとうございます。