人の集まるところ、人の住んでいるところ

 今月二回目の沼津へのドライブ。だいたい、計画的ではなく突発的に行うことが多い。。
 国道は車の往来が多く、それに合わせて主要な施設が揃っている。遠出してきた人はそれを見るだけで安心する。町中で見かけるチェーン店は、遠出で不安に陥っている味方だと思う。ただそれでは、せっかく遠出してきた意義を感じないので、著名な観光地へと集まる。観光地はチェーン店と違って一つしか無いので、有名所はたちまち人が集まり、行列を為してしまう。その時間を利用して楽しむか、別のことに切り替えるかは人それぞれだろう。

僕は人が多い場所に行くと、どうしてもひと目を気にしてしまう。……というよりその場所にいる客層や人数、服装、表情、どんな車に乗っているのか、歩いているときにどんな会話をしているのか、気になってしまい敢行どころではないのだ。僕の行動は傍から見れば、すれ違いざまに凝視を向けられていると想像する。メッチャクチャ怖い。

前も書いたけど、周りが持っていないものを、僕は欲しがる傾向がある。カップル連れ、かっこいい車、自然の多い場所。逆に言えば、欲しい物を再確認できたきっかけになった。彼女欲しいし、新しい車も欲しい。彼女のほうは定期的に訪れてきては、やっぱいいかなとなる。ほしいと思って手に入るものではないし、そもそも「もの」ではない。のぞみさえするも、一度だって変われたことはない。頓珍漢な変化は得意だけども。だからかなわない欲望を吐き出すコンテンツがバク売れするのだろう。

例えば、3ヶ月以内に彼女ができないと死ぬ、という呪いにかけられたとして、必死になって彼女と作ろうと行動するだろうか。一日のうちに気になる異性とやり取りしないと激痛が走るレベルではないとやらないと思う。「死」への認識が甘いからだ。

一回、死ぬ思いをしたほうがいいかもしれない。徹夜は嫌いだが、嫌いなことをあえてして苦しでみて、自分がどんな感想を抱くのか知ったほうがいい。

陽の風が肌を撫でるようになる頃、僕がどんな変化をしているのか楽しだ。


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