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いつか「働く」ができるようになるまで

「もし宝くじ当たったらどうする?」

「えぇ、こわいな。人生狂っちゃいそうで」



たくさんのお金があっても幸せにはなれない、ずっとそう思っていた。なんでもお金で買えてしまうこと。社会とのつながりや人間らしさを失った、堕落した人生を歩んでしまうような気がしていた。

なのにいつからだろうか、宝くじ当たらないかな、と想像するようになったのは。
(実際にやったことはないのだけれど。)



働ける気がしない、と思う。

大学の同期のほとんどは社会人をしている。朝早くに出勤して、仕事して、帰って寝る。ブラック企業のイメージに捉われすぎているような気もするけれど、あながち間違ってもいないだろうなと思う。よく働いて、稼いだお金で生活して、自分の力で生きていく。尊敬してやまない。

「働く」と「はたらく」のちがいは何だろうかとよく考える。「働く」は労働、時間と労力と引き換えにお金を得ること、生活費を稼ぐこと。しなきゃならないし、するのが当たり前のこと。そこにはある種の必死さがある。「はたらく」はしなくてもいいけれどやりたいこと。行動そのものにフォーカスしている感じ。気づいたらはたらいてた、みたいな。

「はたらく」はきっと一生しつづけるのだろうなと思うし、その自信もあるのだけれど、「働く」はどうしたらできるのかわからない。



思えば、何かを全力でやりきったことなんてなかった。

大学の授業に出られなくなって、気力もなく家に籠っていたこと。卒業までは続けたかった、愛しい人たちとのインターンをフェードアウトするようにして辞めたこと。明るく元気なふりをして始めた神社の短期バイトを途中でリタイアしたこと。現実から逃げるように2度目の休学をしたこと。そのすべてが軽いトラウマとなって襲いかかる。

神社のバイトで仲良くなれそうだった子にしんどい、とこぼしたらみんなそうだよ、と言われた。ねむいね〜と言いながらも平気な顔をしている。これたくさん稼げるよね、また来年もやるつもり、と話すのが信じられない、わたしはこんなにも働ける気がしないと感じているのに!



1年間の休学生活がスタートしたとき、まずは心身ともに健やかに過ごそうと決めた。何もしていないことに焦らない、ただよく歩いて食べて寝る、人と話す。それがわたしには合っていたみたいで徐々に回復していった。数時間の散歩から帰ってきても起きていられるようになった。

夏、松本に来た。たくさんの友人に恵まれ、わいわいと楽しく濃い時間を過ごした。登山できるほどの体力はついたし、蕎麦屋でのバイトも始めた。目が回りそうな繁忙期、行きたくないと思いながらも最後まで続けられた。消えたい、という希死念慮に近い感情はいつの間にかなくなっていた。

今は乗鞍にいて、豊かな自然に囲まれながらのびのびと過ごす毎日。水辺を歩いて癒されたりランニングをしたり。週に4〜5日ほど、朝から夕方までバイトで働いたりもしている。一日の終わりの程よい疲労感に満足して、賄いもりもり食べて温泉に入って寝る。半年前のわたしとはまるで別人のように生き生きとしている。



ここでの生活にも慣れてきたある日、バイト先のボスから「もうちょっと稼ぎたかったりする?」と聞かれた。(つまり、働く日数を増やしたい?ということ。)
うーん、と考える。

「稼ぎたいなとは思う。」
「けど今はこれ以上働けないなとも思う。」

矛盾してるじゃん、と笑われた。
大丈夫だよできるって!と言われたからわたしもあははと笑う。頭に置いときますね、と誤魔化す。

社会人のみんなに比べたら時間も量も責任も、とてもじゃないけれど及ばない。今より働いたって死ぬわけじゃない。けれど、これ以上働くことがわたしにはこわい。ある瞬間にうわぁ無理!とすべてを放棄したくなって、また同じことを繰り返すのが安易に想像できる。もしかしたら余裕でこなせてしまうのかもしれないけれど、それを試してみる勇気もまだない。

大丈夫になったと思っていたけれど、そんなことなかった。細い尾根を踏み外さないように、慎重に渡っている。そんな素振りを見せずとも、いつ落ちるかわからない恐怖とともに日々をやり過ごしている。



それでも、働かないことを選ぶのはもっと恐ろしい。最低限の暮らしのためにもお金がかかる。就職はするんだよね?と聞かれて、稼ぐ手段はたくさんあるから就職しなくたって良いと思ってる、といつか親には豪語したけれど、果たしてそれで食いつなげるのだろうか。道筋なんて何も見えていないのに。

自由がなくなって苦しむのは結局わたしなのだと、わかりきっている。



けれど(だから、ともいうべきか)働くことへの憧れもある。忙しいながらも楽しそうに働く人々をわたしはたくさん知っている。青春時代のようにがむしゃらに、それでいて歳を重ねたことによる余裕も持ちつつ生きる。苦しい面を見せないだけかもしれないけれど、とてもキラキラしている。
わたしもそんな風に、かっこいい大人になりたい。

いつかなれるのかな。



今は「働く」と「はたらく」をどうしても分けて考えてしまうけれど、「はたらく」的な生き方をやっていくうちに、ふたつが溶けあったところを見つけられたらいいなと思う。

そうすればきっと軽やかに、生きていけるはず。

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