イカれ

20代の頃、3ヶ月だけいた仕事場のイカれたメンバーを紹介する。(全部仮名)

◆私子
・私。20代。この職場に入るまでに経験していた仕事がここでの業務に活かしやすかったことが幸いし、教えられたことをすべて一度で覚えることができた。おかげでイカれたメンバーに付け入られる隙を与えずに済み、各所で日々繰り返される不毛な小競り合いのほとんどから辛うじて逃れた(時々被弾した)職場で巻き起こるお粗末な揉め事の連続に戦々恐々として過ごし、試用期間後に契約更新せずトンヅラした。

◆笑子
・唯一の正社員。30代
・私たちが入職する前にいた非正規雇用の社員4人全員が辞めるきっかけを作ったらしい
・大声とかは出さないけど、全てのやり取りにおいて笑顔でイヤミを言う。「今回は """理解""" ってしてもらえました?」
「 """仕事""" ってしたことあるんですよね?一体全体何ならできてたんですか?」
「私のすることに """非正規""" のあなたが関心持つ必要ありますか?」
といった発言を、どんな目的の会話においても必ず挟む。非正規が相手の会話にだけ、挟む。言う時は必ず笑ってる。正社員の間では評価が上々。

◆花子
・推定50代。以前にいた非正規社員4名が笑子との揉め事により一斉に退職した後、一番最初に入職したパート
・自分より後に入った職員に対して「あなたより一か月先に働き始めてる私が聞いた話では~」等の先輩マウントを取る
・自分より上位の職制の相手に何かを進言することに興奮を覚えるらしく、常に課長に訴えることができそうな問題ごとを求めている
・笑子のパワハラまがいの言動も常に課長に訴え常に無視されている(課長は課長でパワハラ問題にまったく関心がないわけではないけど、自分の前では愛想がいい笑子を前にすると結局何も言えない)
・笑子が誰かにいや事を言う度、言われた相手の元に飛んでいって、「聞いてたよぉ!?ひっどいね!今のも絶対に課長に言おう!言いにくかったら私が言うから!!」と大騒ぎする
・自分より格下と認めた相手には笑子とほぼ同じ類のイヤミを交えなければ会話ができない
・娘の塾の先生に日々クレームを入れてそのことを職場で全員に聞かせたがる。本人は「塾の先生へのクレーム」と称しているが聞いた側からすると「塾の先生への言いがかり」に思われる内容

◆トト子
・推定40代。笑子と花子にサンドバッグにされるが気にしない
・ミスや忘れ物をしょっちゅうする
・自分のミスや忘れ物について「やだ~私って本当だめですよね?」と言いまくるが、謝罪の言葉は一切口にしない
・工程が三つ以上ある業務を覚えられない。メモは絶対に取らない。手順書は絶対に見ない。「や~~ん忘れちゃったぁ」と言いながら、同じことを何度でも人に聞く
・後から入った私に自分が説明した業務の手順を、私に聞いた。私が回答すると「すごぉい!もう完璧に覚えてるんだぁ!」と言ってニコニコした
・つよい

◆全子
・推定40代。全員に全員の悪口を言って全員と仲良くしていた
・オートロックの金庫の中に、その金庫の鍵を入れて、蓋を閉めた。ということを自分で忘れ去り、金庫の鍵が消えたと大騒動になると、「私子さんに現金のダブルチェックをお願いした直後に鍵が消えた」と言いふらし、私が鍵を紛失したかのような印象操作を図った。合鍵を作って金庫を開け、鍵が中に入っているのが発見されると、私に向かって「巻き込んでごめんなさいね。でもあなたが一緒に考えてくれたお陰で心細くなかったわ」と言った。

◆ツル子
・推定40代。花子にいびられて2日で辞めた
・花子がツル子をいびった主な理由:「私子が説明した業務の覚えが悪い。私子が可哀想」
・覚えは確かに悪い。2日間、誰からのどんな説明も途中で「パニックです」と言い始め、すべての説明を中断し二度と聞こうとしなかった
・2日間、派遣会社が同じというのを主な理由に私に懐いた。ひとりで昼食をとるのが好きな私の隣に勝手に座って勝手に一緒に食事をした。2日とも帰り道で私を待ち伏せていて一緒に帰った
・依存気質
・「私あんな花子みたいな人間生まれて初めて見ました。私子さん気を付けてくださいね!?」と憤りながら去った
・去り際に派遣会社を通じてパワハラを申告したが、パワハラしたのが人をいびって辞めさせる常習犯として悪名高かった笑子ではなく、割と新人でしかもパートの花子だったので、一部署にモンスターが集結していると、全社がざわついた

◆正子
・推定30代。落ち着き払った態度と華やかな前職の経歴により、花子から格上と認められた。正子の腰巾着を希望する花子から逃げまどっていた
・職場の惨状に呆れ果てて5日で辞めた
・辞める時、私に「あなたも早く去りなさい」と進言した

仕事内容はセミナーの事務局だった。セミナー内容の企画、講師への依頼、受講者の募集、受講者と講師との各種やり取り。

ということで、受講を希望する色んな人から日々、電話がかかってきた。
ある日、偶然私が対応した電話が特殊だった。

「ああ、私子さん?このセミナーの内容なのですが、私の大家がスーパーの店長と喋っていたこととよく似ているみたいですよ。どこから情報を手に入れたんだか知りませんが、大家ときたら本当にふてぶてしいわよね。アタシこのセミナー受講しようと思うんですけど、結局は政治家が牛耳るんだから、悪の巣窟のハーバード大学とは言え悪と悪でお互いが相殺してくれるといいと思って、あ、アタシの電話番号ってもう控えてありますか?」

こんな調子で、話が止まらない方からの電話だった。

とにかく対応する必要があったので、
「そうですか、大家さんが…」
「ハーバードですか…」
「お申込みはされますか、あ、違いましたか、なるほど、当セミナーの内容と酷似したお話を、店長さんが…」
などと相槌を打った。

まぁいつもと様子が明らかに違う対応なので、デスクを並べている全員、笑子、花子、全子、トト子が、私の電話に聞き耳を立てた。

一番長くその仕事をしている笑子が、

「ああwはいはいwカツエ様(仮名)でしょw」

と心底可笑しそうに笑いながら言った。

それで私は、この電話のお相手が割と頻繁にここに電話をかけているらしいと悟った。

笑子は私の対応を聞いて、楽しそうだった。花子が興味をひかれたらしく、

「なになに?カツエ様って何ですか?」

と笑子に絡んだ。笑子は笑みを浮かべたまま、頭の横で人差し指をクルクルと回すジェスチャーをした。

花子は声を抑え気味に、ゆっくりと口を動かして、「あ~~~! はい はい はい 」と汚い声を出した。小声なのに汚いって救いようがないなって、私はこの時、思った。

いつもいがみ合っている笑子と花子が、なぜか一致団結して、楽し気にカツエ様にまつわるあれこれを話し始めた。

全子が全て分かってますって感じの顔でほほ笑んで、場のやり取りを見守っていた。トト子は「え~?」「あはは!」と、笑子と花子のやり取りに合わせて、とにかく二人と同じになるよう、タイミングを推し量りながら笑っていた。

電話の向こうのカツエさんは、「大家」とか、その時の首相の名前とか、「医療」とか、「情報」とか、そういうワードを、私には理解の及ばない文脈の中で繰り返していた。

電話の傍らPCで受講履歴を調べると、結構頻繁にそこが主催するセミナーを受けている方であることが分かった。発言が難解であろうとも出禁等の措置が取られているわけではない以上、私は相手の受講予約を受け付けることに注力した。話があちこちに飛んで、複数開催されているセミナーのうちどれを受講なさりたいのか、なかなか分からなかった。

花子は一通り「カツエ様」にまつわる話("電波"とか"業務妨害"とかそういう言葉を笑子は使った)を笑子から聞き出した後、明らかに興奮していた。私の電話の内容が気になって仕方ないのだ。そしてこちらをジロジロ見ながら、何か思いついた顔をして、象みたいにむくんだ手で何かを走り書きしたメモを、電話中の私の手元に差し込んだ。

「電話、課長に回しましょうか?」

と書いてあった。課長に回すことで解決する類のことではないと私は思ったし、花子が常に、課長に何でもいいから何かを上申する機会を欲しているだけなことは知っていたので、不要です、とジェスチャーで伝えた。

紆余曲折の末に予約を取ることができ、電話を切った。すごく疲れていた。

「初カツエ様デビューだったね~」

と、笑子が笑いながら声をかけてきた。花子は

「課長にまわしちゃえばいいのに、私子さんってけなげですよねぇ」

と言った。

するとまた電話がかかってきた。カツエさんからだった。私を指名しての電話だった。出ると、

「ああ私子さん?あなたってたしか私子さんっていうお名前でしたよね?合ってますね?いえね、今アタシがテレビをつけたら、アナウンサーの名前がね。私子、っていうんですよ。これがどういうことか分かりますか?あなたさっきアタシの電話番号を聞きましたよね?」

とのことだった。厳しい声音だった。電話番号は聞いた。受講を希望する方には全員にお聞きしなくてはならないからだ。そのことを伝えつつ、アナウンサーと私が何の関係もないことを説明するうちに、カツエさんの私に対する態度は軟化してきた。そして、

「それというのも、大家とその息子がね、アタシの部屋に特殊な種類の電波を送っているせいなんですよ。みんなそのせいなの。私子さんあなた、大家のほうに連絡を取って、やめるように言ってもらうことはできる?」

と依頼をされた。私のほうから電波の送信をやめるように大家に連絡を取るのは難しいと伝えた。カツエさんは、別段気分を害した様子でもなく、「まぁそうね」とのことだった。

その間もずっと、花子が「課長 内線 XXX」などと書いたメモを差し入れてきていた。私が電話対応に手いっぱいで課長の内線番号が調べられなくて、それでカツエさんからの電話を課長に回さないものと思い込んだらしかった。

笑子は私がカツエさんの対応を始めた時、率先してニヤニヤして、ウキウキして、他の人たちにカツエさんについて説明していた。しかし段々と、私が対応している内容にいつまでも浮き足立って自業務を放棄している花子、全子、トト子にムカつきだしたようだった。「ご自身のお仕事はどうなんですかね」と不機嫌をまき散らし始めた。

全子とトト子が、「私子ちゃんって(結構年下だったからこのようにちゃん付で呼ばれていた。職場なのに)本当にいい子よねぇ」と言い合っていた。

私は別に親切心でカツエさんと電話していたわけではなかった。仕事の一環だった。「いい子」という解釈は不気味だった。発言が難しい人と長く会話を続けると「いい子」だろうか。

あの場にいた全員が、カツエさんがイカれてて、自分がまともと断じていた。

自分もそうであったことは否定できない。
カツエさんからの電話に、私は、(ああちょっと変な方だ)、そう思った。

だけど、あの時、あの電話が終わった後、あの空間に悪意が満ちに満ちていて。

その悪意が少しでもカツエさんから逸れてほしかった。

なんだかすごく泣きたくなって、悲しくなって、バーッて走ってその場から立ち去りたいって思った。

どっちがイカれてんだよって思って、自分を含む全員を許せなかった。

だけど終業時間までまだまだ時間があったので別に立ち去らなかった。泣いたりしなかった。普通に仕事して帰った。
私はいつもそうだ。これからもそうだと思う。

イカれたメンバー達。ありふれた悪意が最大限になる瞬間。
黙ってやり過ごすばかりの私だ。

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