疲れていて、夏が終わったのが悲しくなったりする。
ここ一か月以上の間ずっと、毎朝、起きたらもう最大出力になっている太陽光のことがあんなに嫌だったというのに。ここ数日、起きた時の光の量や質が、盛夏のそれから変わったことが、悲しい。

関わる人全員の嫌なところが目について、嫌いだと思う。関わってない間も、わざわざ、嫌だと思う人の嫌だと思うところを思い出して、反芻する。自分が過去に人にしてしまった間違った言動を思い出す。暗い気持ちになる。

掃除も料理もさぼり気味になる。さぼる自分はいけないなぁと思う。

自分はダメで、他の人みんながすごく偉いように感じてくる。他の人みんなをすごく嫌いと思っていたのに。支離滅裂になってしまう。

そういう時、自分がこんな風じゃなかったらなぁと思う。
人を嫌って、世間を嫌って、自分を嫌って、暗い気持ちに浸るような、こんな風じゃなかったらなぁと思う。

じゃあどんな風がいいのか考えてみる。

例えば、村上春樹さんの小説の主人公みたいだといい。彼らは暗い気持ちになってばかりいるように見える。あるいは暗い気持ちにならざるを得ない出来事ばかり体験しているように見える。そして自分の力でその暗さを処理してる感じがする。基本的に人に親切だし、自分の過ちをしっかり受け入れている。誰かの慈悲を乞うのが目的の自己憐憫でそういう風にするんじゃなくて、孤独に、そうしている。そうしないといけないと知っていて、その通りに実践している。すごく傷つきながらそうしている。

私はいつも自分が可哀想と思っていて、こんなに可哀想な自分は人から施しを受ける権利があると思っていて、だけどそれは根本的に心得違いだということも頭では分かっていて、だから、村上春樹さんの小説の主人公みたいな風になれたらいいのになぁと思う。

岩本ナオ先生の漫画の登場人物たちにもあこがれている。心がキレイな人たちだ。周りの人と調和できて、現実の困難をちゃんと乗り切っていける人たち。彼らが軽やかに見えるのは、深刻になり過ぎないことの大切さを知っているからだと思っていて、それはなんて尊いことだろうと、いつもそう思って、岩本ナオ先生の漫画を読んでいる。深刻になりすぎず、人にいつも優しい。そういう風にあれたらなぁと思う。

『魁!!男塾』の桃太郎くんもいいな。あれだけ漢気に溢れていたらそらぁ生きる甲斐もありましょう、なんて、変な言い方かもしれないけど、そんな気がする。

映画だったら、『ドライヴ』のライアンゴズリングが演じていた主人公、ああいう風になるのもいいなぁと思う。問答無用に強い。愛も知ってる。あの主人公は、寂しいのかもしれないけど、ひたすらにずば抜けた運転テクニックとずば抜けた戦闘力(肉弾戦)で世を渡っていけてる。大抵のフザけた有象無象を、四の五の言わせないで腕力をもって再起不能にできる。いいなぁと思うのだ。危険思想だろうか。

『愛と精霊の家』の主人公クララのお母さんも素敵だと思っている。ひとことも話せなくなった娘をどこまでも愛して、人から過保護だと批判されれば「愛はいくら与えてもいい」と笑顔で言ってのける。上流階級の裕福な家庭の人間だけど、娘が望むなら、所得が少なくて身分の低い出自の相手との結婚も喜んで受け入れる。そりゃぁ、理論上は正しいのはそれなのかもしれないけど、果たして人は実際そこまでできるだろうか?

あと具体的な作品名はパッと出てこないけど、架空のキャラクターのひとつの典型としてある、「家族のために朝から晩まで働いて体を壊す人」、あれも、そういう風になれたらいいのになぁと思う人物像のひとつだ。体を壊したいという意味ではない。「そこまで自分を犠牲にしても大丈夫なぐらい大切な何か」をこの世界で見いだせること、そして実際に大切にできること、そういうところがいいなぁと思う。どう考えても、自分ならあり得ないと思ってしまうのだ。そもそも少し働いただけでもう何にもしたくなくなってしまう。ずっと遊んでいたい。怠け者なのだ。身内が具合が悪ければ、そりゃあ多少の無理もするが、多少だ。自分が壊れるまで頑張り続けるなんてことはできない。

現実で見知っている人間に、こうなれたらいいなぁと思う人を見つけられない。見習うべき人が周りにいないのではない。ただ私が私の問題で、誰のこともそういう気持ちで見ることができない。歪んでいるとか、性格が悪いとか、問題があるとか、病んでいるとか、色々な表現の仕方があると思うが、そういう感じのことだ。うちで一緒に暮らしている猫達と、前に住んでいた家の近くの駐車場の軽トラの幌に寝泊まりしていた猫、彼らには多く見習うところがあると感じているのだけど。

そんなこと思いながら、仕事をしながら、ダラーと泣いていたりする。ちゃんと誰にも見られずに泣いている。いつ終われるんだろうってずっと思っている。そんなこと思いながらおいしいご飯を食べている。おいしいと思うご飯ってどこか臭いものが多い。臭いと言えば、少し涼しくなったと思って久しぶりにベランダでコーヒー飲んでたら、どこからか臭い風が吹いてきてがっかりした。臭いと言えば、「この世は臭いのさ」って『ルーヴルの猫』のクモ君も言ってた。

多分これは。1か月ぐらい仕事も家事も人付き合いも何にもしないで好きな時に寝て起きて食べて暮らしたいだけなのだろう。

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