謝るということ

お菓子屋さんのショーケースを見ていて、食べたいなと思うケーキがあった。ホールサイズでしか売っていなかった。できたらひとり分だけ欲しかった。「このケーキのカットされたものってありますか?」と聞いたら、店員さんは即座に怯えた表情になった。

「大変申し訳ございません。こちらホールのみの販売でございます…」

「そうなんですね。でしたら大丈夫です」とか言って立ち去りたかったのだけど、私が口を開くよりも早く、店員さんが色とりどりのケーキが並ぶケースを挟んで私と会話していた位置から、更に一歩後ろに下がった。

そして深々と頭を下げた。もう一回「大変申し訳ございません」とおっしゃった。

深々と頭を下げるスペースを作るために一歩下がったのだ。

驚いたし、悪かったと思った。そもそも店頭に見当たらない商品なのだから「そこにないならないですね」ってやつであろうことは予測できたのだ。こちらとしては「ないならないで全然いいのですが、もし万が一どこかにあるかもしれないのだとしたら買わせてもらいたいので、あるかないか教えてもらいたい」…という気持ちで、他意はない。だけど、あるかないかを聞かれて「ない」と答えるのは、少なくともその方にとっては、心苦しいことだったのだろう。

もしかして店員さんは過去に同じような質問をされた際に同じように「ない」と回答して、罵倒された経験とかがあるのかもしれなかった。なんだかそういう雰囲気だった。異様なほど怯えた謝り方というか。

「こちらこそお忙しいところお聞きしてすみません」と言った。次の瞬間、そんなつもり全然なかったのに、少しでも気を楽にしてほしいみたいな感じだったと思う、気が逸ってしまって、「じゃあこのケーキ、ホールで頂けますか」と言ってしまった。

店員さんは多少リラックスされたように見えた。にこやかにケーキを包んで渡してくださった。

怖かったんだなぁと思った。自分も過去に接客業をしていた際、似たような経験があったので他人事に思えなかった。

こういう時「他人事に思えない」と思えるのは自分の場合、状態がいい時だ。状態が悪い時は(そしてそういう時が結構多いのだけど)、「別に何も怒ったりしてないのにこんなに謝られると、最初から「お前は絶対に器の小さい悪人」って言われてるみたいな気がして嫌だ。私はそんな人間じゃないのに」って思う。

我が家では到底食べられないサイズの大きなホールケーキは、小さくカットして冷凍した。冷凍する前にいくつかは食べた。とても美味しかったです。

それにしても、そんなに謝らないで、と思うことばかりだ。

かく言う自分もしょっちゅう謝る。トラブル回避になるんならそれでいいや、と軽い気持ちで謝る。話のつなぎとして、とりあえず「すみません」を挟んだりする。

やたら謝りながらでないと話をスムーズに進められないタイプの方が確かにいる。私も「すみませんが」とか「申し訳ないですが」とか付けてもらえないとムッとしちゃうなぁという時があるし、分かる。人間関係において礼儀や形式が果たす役割は、結局は大きい。

かと言って、形式を重んじる余りに、話の本質を見失ってまで謝罪やへりくだりを重視する場は嫌い。慇懃無礼も加わって「下マウント合戦」の様相を呈してくると、居たたまれない。

反対に、形式的な謝罪を毛嫌いする方もいる。とにかくスピード重視で無駄な社交辞令を省きたい方もいる。相手がそういう価値観の方だと察したら、「お手数ですみませんが」とかいちいち言わないよう気を付ける。
悪くもないのに無駄に謝る言葉なんて不要というのは、こういう世の中だし、もっともな考え方だと思う。だけど私は普段は、ある程度は無駄な謝罪でも言う派だから、ちょっと疲れる。なぜ言う派なのかと言えば、進んで丁寧な場づくりをして、自分も丁寧な世界に身を置きたいからなのだ。だから(丁寧さや形式なんぞ無駄なもんはかなぐり捨てて用件だけでいこうぜ!)という場にはちょっと恐怖を感じて、恐怖を押し殺しながらそこに身を置くから、疲れる。

かと言って無駄謝罪にすべて理解を示せるかというとこれがまたそうではないのだ。絶対に許せないというか、遭遇したら即心を閉ざすタイプの謝罪がある。

「こうして下手に出てペコペコしてやってりゃぁ文句つけようがねぇだろう?持ち上げときゃ自分が偉いって勘違いして機嫌よく買い物するんだろう?」

って、かなりこちらを侮った上でやたらに謝る、セールスマンのあれだ。

「わざわざお越しいただいて大変申し訳ありません。お暑くありませんでしたか?雨は降りませんでしたか?お疲れになってらっしゃいませんか?お食事はお済ですか?お忙しくはなかったですか?わざわざすみません」

なんてくどくど言われていると、バカだって思われてるんだなーって感じちゃう。私が自分で来店を希望して、日時を決定して、その日時通りに訪問している。暑さも雨も空腹も、大人だから別に自己処理する。ただの店員と客の間柄でそんなことまで気にされる筋合いがないって思う。
そんなに予防線張らなくてもSNSで店を燃やしたりしないよ...って思うけど、現にすぐ燃やされるご時世だからまぁ、そういうことかなぁとも思うけど。

しょっちゅう「すみませんねぇ」と言って笑っている70代の女性の知り合いがいる。

電波が悪くて、彼女からの電話に出られなかったことがあった。十分ぐらいして着信に気がつき、かけ直した。相手は、「さっき自分から電話した時、ツーツーと言って、切れたのよ」と言った。電波が悪かったのでそういうことになる場合があると思う、ところで要件は?と聞いた。「だけど留守番電話とかそういうのにも繋がらないで、急に切れたわよ」と言われた。電波のせいでそういうこともありますよね、何で電話くださったんですか?と聞いた。「前にもあなたにかけて同じようにツーツーって切れた」と言われた。

相手が私から「電話に出られなくてすみません」と、謝られたがっているのが分かった。仕事とかならパッと謝っちゃうんだけどその時は嫌だった。電波トラブルのくだりをこんなに繰り返して本題が始まらないというのは、自分の世代では起こり得ないことなので、苛立っていた。好き好んで電波トラブルを引き起こしているわけでもあるまいし、こちらからかけ直して現に通話ができている今、さっさと要件を済ませることができるはずなのに、済んだことをモタモタ蒸し返され、苛立った。謝れなかった。

この70代女性の方は普段から「いやぁ長らく電話もしないですみません」とかそういうことでしょっちゅう謝罪の言葉を口にする。

別にいいのにって思う。

用事がなくて、変事もなくて、互いに連絡しないでいることに、何の非も感じない。

でも多分、「いえそれはもうこちらこそご無沙汰して…」とか言わないといけないのだ。

そんな程度のことで自分から進んで自分を悪いとしたら、何がどうなるか分からない世の中だと思う。

そんな考え方をする私は、時代にふさわしい自己防衛術を身につけていると言えると思う。

本当は、

「どうも長らくお電話もせず失礼しました。」
「こちらこそご無沙汰してごめんなさいね。お元気でした?」

なんて、お互い普通に謝り合ってニコニコ平和でいられる70代の方のことが羨ましい。

過剰な警戒なんてしないで謝っても、言質取られて付け入られたりしない世界が、確かにあったのかなって、センチメンタルだかノスタルジーだかを感じる。

私もそれがいいなぁと思う時がある。結局のところ、そんな世界が本当にあったかは分からないけど。

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