優と劣の渦

金曜日。その週、職場で気に入らないことが続いていた。

どこの仕事場にもいるであろう「公式困ったちゃん」みたいなオッサンが私の仕事場にもいて、その週、私がモロにその公式困ったちゃんにかち合うことが多かったから。

それで同僚に散々愚痴った。その同僚は常日頃から公式困ったオッサンの被害を受ける程度が大きくて、普段はその人が私に対して愚痴を言う。私としてはいつも自分がその人の愚痴を受け止めているという自負があったので、まぁ申し訳ないことではあるがたまには話を聞いてもらってもバチは当たるまいみたいなつもりで、その人に愚痴った。すると愚痴った相手が

「人を変えようとしても意味はないから自分の考え方を変えてみよう」

みたいなことを言ってきた。それにも腹を立てた。別に、あまりに、分かってることだったから。多くの常識的な大人がとっくに分かってることをわざわざ言ってきたその当人こそ、いつもは人(っていうか公式困ったおじさん)を変えられないことに苛立って私に愚痴っているのに。

それを言ってきたのが自分より十以上年下の若者だったのも、余計腹が立つポイントだった。(小童、ツ〇ッターでどこの馬の骨とも知れないようなのが垂れ流すご高説とか、電車の吊り広告にあるビジネス書の教えとか、そういうの鵜吞みにしました?)って、感じの悪~いことを思った。

(だとしたらそんなもの見てないで『愛すべき娘たち』を読みたまえよ)とも思った。

「分かってるのと許せるのと愛せるのはみんな違うよ」

そう書いてあるからって。

土曜日の朝。ひと晩眠っても、職場の公式困ったちゃんなオッサンと小童への腹立たしさが大して紛れなかった。それで、朝のコーヒーを淹れてくれている家族の元へつつつと近づき、彼らについて愚痴った。

ちっとも気が晴れなかった。

それどころか心は余計にザワザワしてうるさくなった。

(今別に目の前にいるわけじゃない人たちへの怒りに執着するのは止して、静かに素敵な休日を過ごしたい)

そう願っている自分を、

(あんなやつらに自分をコケにさせるなよ。あいつらを許すなよ)

と叫ぶ自分が追いかけてくる感じで苦しかった。

家族に、本来なら別に知る必要のない嫌な話をわざわざ聞かせ続けた。家族が本来なら得られるはずだった平和な土曜日の朝を、私はわざわざ不穏なものにした。

日曜日の朝。家族と外出している道中で、好きな友達の話をした。

その友達は世界中で公的機関を渡り歩きながら働くいわゆるエリートだ。学生時代から社会人になってもずっと親しく連絡を取り合える、いい友人だ。その子の話をしながら、前日と打って変わってよい話題をチョイスしているつもりだった。

でも引き続き心がざわざわしていた。嫌いなオッサンと小童のことを話している時と同じような、嫌な興奮状態だった。

どうやら私は、その友人の話をすることで、(そんなエリートと親しい関わりのある自分もまた素晴らしい人間なのだ)という確認作業をしたがっていた。

(そういうつもりはないんだけど偶然にも好きな友達がエリートなんですわ)って態度で取り繕って、実際のところはその確認作業をしていた。

あんまり浅ましくて恥ずかしい本音だから、自分で自分を騙して、そういう本音は抱いていないフリをしていた。だけど必死でフリをしても、結局のところ自分は分かっている。

自分は浅ましいなぁと気が付きながら、気が付いているのに、恥ずかしい行為を止められないでいたから、ずっと心がザワザワしていたのだった。興奮で多弁で、変で、嫌なのに、止めることができないでいた。

人を必要以上に貶めるのも、人を必要以上に崇めるのも、どっちも同じだ。勝手に人間のランキングを決めて。それを横目で見ながらオドオドと自分の立ち位置を計算して。自分の妄想の中で決めた自分の位置について、心配になったり、安心したりして。

見下せる相手を見つけては、(自分はこんなにはヤバくないよな、こいつほどは嫌われてないよな、つまり、よし、イケてるよな)って思ったりする。

見上げられる相手を見つけては、(自分はこんなにはすごいことはできないな、素直にすごいと認めて、それを思いっきり態度で示そう、それで相手から気に入ってもらえたら、私もまた、すごい人間から目をかけてもらえるという意味ではすごい人間みたいになれるはず)って思ったりする。

そんな自分が恥ずかしい。そんなことはしたくない。

他人軸とか自分軸とかそういう。
自己肯定感とかそういう。

今の世の中ではもうすっかり語りつくされてきているそういう普遍的なやつを、私は全然克服できない。

そんなことを思いながら日曜日の夜が来た。

あ~あ、こんなんじゃいけないよなっとか思いながら、『北斗の拳』のアニメを見ていた。話の中で、メインキャラの女の子のひとりが生き別れの姉と再会するシーンがあった。

そのメインキャラは孤児として育ったんだけど実は王族だった!
そして生き別れの姉は王族として普通に育っていて、普通に帝の位についていた!しかし悪者の手で地下に幽閉されていて、失明していた!
そこの地下にメインキャラが仲間を連れてその姉を助けに現れた!
産まれてすぐに引き離されていた姉妹は初めて顔を合わせた!

…というシーンだった。

王族で失明した姉の方は、産まれてすぐによそに追いやられた妹に対して「つらい目に遭わせたよね…」みたいに言う。でも妹の方は治安が滅茶苦茶な世の中ではあっても、ケンシロウとかいい仲間に恵まれてそれなりにやってきたから、「捨てられた私の方が幸せでした」って返事をする。

そのシーンで私は大騒ぎした。

「「捨てられた私の方が幸せでした」って言い方はないよね~!?
マ・ウ・ン・トじゃん!!
いや前後の文脈からしたらね?
姉が妹の苦労をしのんで心配してるから、
妹からは(心配いらないよ!幸せだったよ!大丈夫だよ!お姉ちゃんこそ大丈夫?)って意味で言ってるってのは分かるけどもね?
それにしたって「私の方が幸せでした」ってそんな言い方はなくない~!?
幸せって~のは人それぞれで、アタシとアナタを比べてどっちの方がより多く幸せかどうか…ってそんな風に計測することじゃないんだからさ~~!
もっと言い方ってもんがwwwあるよねwwww」

って騒いだ。

(人と比べる心のいけなさを分かっている自分)を、そのいけなさを分かっていないアニメの登場人物と比べて、勝った気になって騒いだ。アニメの登場人物を見下して安心を得ようとして。

ほんとどういう人間なんだよって自分に思う。先行き不安な週末。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?