老い
盆暮れ正月に、夫とそろって二人で訪問しなければならない関係性の家庭があって。
八十代の両親と、六十代の一人息子の三人暮らしのご家庭で。
父親が認知症。
六十代息子は会社勤め以外は何にもしない。
八十代の母親が、家庭三人分の家事労働と、認知症の配偶者の世話の、一切を担っている。
こういう構成の家で、想定されるというのか…
世の中に流布しているこういう家にまつわる噂というのか…
そういうのが、大体、この家にも当てはまる。
老々介護。パラサイトシングル。みたいな言葉にまつわるあれこれが。
先日もお盆ということで、このお家に行った。
疲れた。
お盆にこのお家に行くということ自体は数週間前から決まっていて、そのためのやり取りとかも数週間前から始まっていて、その間ずっと、疲れてた。
最近、私は減量に成功した。すごく嬉しい。
だけどここ数日は、この家に行って、変化した体形についてどんなに鬱陶しいことを言われるかを思うと、瘦せてしまったことが憂鬱だった。
この家の人は常に食べ過ぎていて、ゆえに常に肥満体形で、なのに常に痩せたがっているのである。そしてなぜか人の体形に強い興味関心がある。
元々強かったその傾向に、老齢由来の頑なさが加わって、最近は手が付けられない。
訪問したら案の定、開口一番言われた。
「えっ!?痩せてる!なんで!?」
何でもへったくれもない。相応の苦労をしたに過ぎない。
その発言の後のお食事、お散歩、お買い物、お茶、すべての時間、うんざりだった。
ところで「へったくれ」って何だろう。
*
昔はこうじゃなかった。
痩せてる!なんで!?と騒いできた八十代の母親と話すのが、かつて楽しかった。彼女を好きだと思っていたことがあった。
彼女の配偶者のことも好きだった。認知症になって、今は会うたびに、「どうして子供を産まないのか」と聞いてくるし、私が作ったり買ったりして持参した料理を指して、「せっかく我が家が用意したのに、食べないんなら家に持って帰りなさい」と持ち帰らせようとしてくるけれど。
前はもちろんそういう風じゃなくて、頼れる人生の大先輩で、好きだった。
六十代息子のことは初対面から嫌いだったけど、私がこの家庭に出入りするようになった最初の頃は、この息子の鬱陶しさを、両親がちゃんと抑えていた。最近は野放しでどうしようもない。本当にどうしようもない。
八十代の父親は認知症になって以来、私に「子育て楽しいから絶対子供産め」って言い続けているけど、正直、それを言うあんたが楽しく育てた子供のこの顛末は一体どういうことかと言いたい。血縁でもないいわば他人の私に子供産めってしつこくしてるが、六十代で実家に暮らして老齢の母親をコキ使ってる自分の息子には何か言うことないのですかと聞きたい。もちろん言わないけど
二人が八十台になってしまって、こんなようになってしまうよりも前に、もっともっと好きになれていたら、違っていたのだろうか。
老いを笑うな行く道だ、という言葉の通りに、静かな心持ちで、二人の老いを見守れただろうか。
今、この家庭とのつながりがすごく負担だ。
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