乗り越えられないという結論

『マンチェスター・バイ・ザ・シー』

とても好きな映画のひとつ。

映画の冒頭、主人公の中年男性リーは狭めなアパートっぽい部屋で一人暮らしをしている。住んでる集合住宅の管理人というのか便利屋というのか、そういうお仕事。いつもむっつりしてて、周囲との付き合いを拒んでいるような感じ。誰と話すときも不愛想。酒場では人にイチャモンをつけて暴力騒動を起こしたりする。

そのリーの兄の訃報が入る。残された兄の息子、パトリックの面倒を見るために故郷に戻るリー。パトリックの母親は、何年も前にリーの兄と離婚して家を出ている。子育てそっちのけでアル中だったみたい。この母親、映画の途中で登場するけど、あまり息子のことを愛してはいないみたいだと見受けられる。愛してるフリだけする感じ。

成人まであと少しの高校生パトリックの後見人になれそうな大人は、キレやすくまともな定職にもついていなさそうで不愛想なこのリーだけ、という状況が段々分かってくる。

更に話が進むにつれ、実はリーもかつて結婚してその地で家庭を持っていたこと、リーがかつて家族と暮らしていた家で火事が起きたことも分かる。その火事でリーの子供は亡くなった。火事の時、リーはお酒を飲んでいて、家を空けていた。出火原因はリーの火の不始末のせいだったかもしれないが、違うかもしれない曖昧な状況。警察の捜査も入った。リーは警察署で「現場検証した結果、火の扱いに不手際があったわけではないので罪にはならない」と告げられる。むしろ罪とされたかった気持ちがあるのが分かる、慟哭するリーの回想シーン。

リーは火事の前からもよく飲んだくれて遊びまわって子供の面倒は妻に丸投げだった、みたいな描写がある。明言はされてないけど、妻はどことなくリーとの結婚生活には疲れていたみたいな雰囲気が漂っていた。そんなことも原因になったのかもしれないし、それでも圧倒的な主な原因は火事による子供の死なのだろう、リーと妻は離婚している。

兄の死をきっかけに戻ってきているリーはこの元妻とも街で偶然再会する。彼女は新しい家庭を持っており、赤ん坊を連れていた。元妻は突然の再会で所在なさげにするリーに、話をしたいと言う。元妻は泣きながら、今も自分の心は壊れたままだと話し、リーもきっとそうじゃないかと思うと言い、理解を示す。自分と同じように傷ついたリーに対し、かつてひどい言葉を言ったのを後悔していると、涙を流して伝えた。どうしたらいいか分からない様子で、元妻の言葉に感謝を伝えるリー。

冒頭のリーのやさぐれ生活は、子供の死は自分のせいだという意識を抱えたまま、家族と過ごした土地を離れ、ひとり生活を送っている様子だった。死んだ兄は、そんなリーのこれまでの経緯を全部知っていて、心配していて、見守っていた人だった。

そんな兄の忘れ形見である息子パトリックは高校生で、大人らしくリーを気遣うこともあれば、全力で子供らしく寄りかかることもある。まだ幼さを残すパトリックに子供らしく必要とされたり、友達のように労わられたりする生活が、リーにとってある種の癒しになっていくのが分かる。

それでもその街はリーにとってつらすぎた。しばらく一緒に暮らし、交流を深めた後に、リーはパトリックに、彼を信頼できる知り合いの一家に預けることにすると話す。パトリックは成人間近なので、その家に世話になるのはほんの少しの期間のことになる。その期間以降、パトリックはリーの暮らすボストンにいつでも遊びに来たらいい、そういうつもりの提案だった。

でもパトリックは現状のまま、死んだ父と暮らした家でリーと過ごしたいと言ってべそをかく。

「乗り越えられない (I can't beat it.)」と静かに答えるリー。

「乗り越えられない」

そう打ち明けるシーンに、本当に、よかったと思った。

安心した。

あまりに自分に失望せざるを得ない出来事を経た主人公リーが、「つらい過去を抱えながら新しい家庭を築いてまた子供を育てている元妻」とか、「希望の象徴みたいに悲喜こもごもを経験しながら立派に成長していくパトリック」とか、「あまりに優しくて美しい故郷の景色」とか、そういうものたちに外堀を埋められて、強制的に、「前を向く」エンドにならなくて。

本当に本当に、よかったと思った。

もちろん一生絶望して失望して諦めて生きていくのがいいことだなんて結論付けられなくて、ただ、「乗り越えられない」、そう打ち明けることができた、それは確かなこの現実に許されうる最大限の希望だと思う。あるべき希望の範囲を、不自然に超えたら、嘘だって思ってしまうから。

よかったと思った。

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