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マーケティングは、誰かの願いを叶えるもの
マーケティングというのはつくづくややこしい……
と、マーケティングの基礎をあらためて学ぶにあたり、以下3冊を読んで思ってしまった。
なぜ、マーケティングはややこしいのか?
マーケティングの4P(Product,Place,Price,Promotion)を順々に紐解いていけば、極めて「経営」に近しい範囲をカバーしていることがわかる。
それはマーケティングが「買ってもらえる仕組み」をつくる活動であることから生じる必然と言えるだろう。
マーケティングはあくまで「顧客に買ってもらうための仕組み」づくりであり、「企業本位による売るための仕組み」づくりではありません。
「顧客ニーズを満たし、顧客満足度を高める」ことができなければ、そもそもマーケティングは成立しないのです。
:【グロービスMBA集中講義 [実況]マーケティング教室 】より
「顧客ニーズを満たす」
これは商売が成り立つための必要条件である。
いかなる質の悪い、そのくせ高い、おまけに接客が最悪の店に置かれている商品であっても、それが1つなりとも売れたならばなんらかの顧客ニーズに適合していたのであり、(持続的に成り立つかは全く別の話として)少なくともその1つの商品を購入した顧客と売り手の間には商売が成り立ったと言える。
逆のケースで、極めて高品質で、なのにお安く、接客も店舗も居心地最高の店で販売されている商品であったとしても、1つも売れないならそれは商売ではないだろう。
つまり「経営」という「商売をゴーイング・コンサーンさせる営み」には、他の何がなくとも商売を成り立たせるためのマーケティングが必要であり、かつこの「顧客ニーズを満たす」ことと全く無関係な事柄は企業活動において存在しないはずである以上、マーケティングの範囲が経営に近しく広範囲となることは当然と言える。
ややこしいのは本当にマーケティングなのか?
マーケティングがその定義上、企業活動を広範囲に包括するものであったとしても、「広範囲≒ややこしい」とは言えない。
マーケティングの歴史は商売の歴史に比べれば極めて浅く、世界ではじめて大学に「マーケティング」の講座ができたのは20世紀に入ってからだ。
つまり、19世紀以前の世界では商売にマーケティングは必要とされていなかったということになる。
なぜか?
商売である以上、顧客に買ってもらう必要はあったが「顧客に買ってもらうための仕組み」である必要はなかったということではないか。
産業革命以降の人類文明の急速な発展と、資本主義の成熟が「商売」に仕組みであることを求めたのだと私は思う。
とはいえ初期のマーケティング~マーケティング1.0と言われるもの~は、「製品を売り込むだけのマーケティング」(byフィリップ・コトラー)であり、今から振り返れば素朴なものであったと言えるだろう。
しかし、その誕生からたった100年で、マーケティングはいまや1人でそのすべての領域を把握し続けることがほぼ不可能と思われるほど複雑化してしまった。
それはつまり、「顧客のニーズ」が複雑化したからだ。
なぜ「顧客のニーズ」が複雑化したのか?
わたしたち自身が、そしてわたしたちの社会自体が複雑化したからだ。
「願い」が増え続ける社会の中で
かくして複雑化した社会の中で複雑化したわたしたちは今日も新しい願いを生み出し続けている。
そう、「顧客のニーズ」というビジネスチックな言葉はつまり普通に言えば、わたしたちの「願い」だ。
わたしたちがマーケティングの視点から世界を見る時、知りたいのは誰かの「願い」だ。そしてその「願い」をかなえる方法だ。
世界中のマーケターが世界中の人々の願いを知るために、そしてかなえるために、耳を澄ませ、目を凝らし、知恵を絞り、奔走している。
弊社トライバルメディアハウスの代表である池田は繰り返し繰り返し言うのである。
「俺は三度の飯よりマーケティングが好きだ」
マーケティングの教科書を3冊読んで今日、はじめてその意味がわかった、ような気がしている。
マーケティング、面白いよね。