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ショッピングは会議室で起きてるんじゃない!現場で起きてるんだ! 的な。
いやー面白かった。
マーチャンダイジングについての勉強ということで、以下の2冊を読んだのだけど、マーチャンダイジングという分野を通すと、日常の(特に店舗での)買い物に新たな視点が得られるとともに、なによりショッピングという行動から「人間」についてもっともっと考えてみたくなる。
今回読んだのは以下の2冊。
一冊目の「インストア・マーチャンダイジング」(以下ISM)は文字通りこの分野についての教科書的な一冊で、「なぜこの店で買ってしまうのか」は実際にショッパー(店で買い物をする時の私達のことだ)の行動観察によって店舗の売上改善につなげる調査会社のお話だ。
※インストア・マーチャンダイジングは略してISMで「イズム」って読むそうだ。主張強そう。
どちらの本にも共通して言えるのは、人間の購買行動を観察し、それを元に洞察することでお店の売上を上げていこうということ。
ISMに書かれている小売店舗の棚割や導線の説明、「なぜこの店で~」でこれでもかと突きつけられる売上の改善事例(それらの大半は店内のラックの位置をずらしたり、買い物かごを手渡しするといった些細なことだ)を読むと、今まで自分自身が己の意思で判断・決定をしてきたと思っていた購買行動が、どれほど店舗の環境によって誘導されてきたのかと冷や汗をかく。
それは先月に以下の記事で取り上げた「影響力の武器」を読んだ時と似た感情であるようにも思えるが、一つ大きな違いがある。
「影響力の武器」において私がハックされていると感じたのは心理であり思考であったが、今回読んで(特に「なぜこの店で~」)ハックされていると感じたのはが「肉体」だったことだ。
eコマースや通信販売ではない、店舗での購買行動に焦点を当てるならば、私たちの頭は自身で考えてものを買っているわけではなく、肉体の欲求に忠実に応える召使いとして振る舞っているように見える。
そして肉体の欲求はその制約によって形を変えるのである。
制約とはつまり、私たちの手が2本しかないこと、歩き続けると疲れてくること、頭の後ろ側にぶら下がっている看板には気付けないこと、歳を取ると小さな文字を読めなくなってくることetc...みたいなことだ。
ここまで私はショッパーの気持ちになって書いてきたが、今回もっとも面白かったのは、「なぜこの店で~」において語られる膨大な量の行動観察の話だ。
入店したショッパーの行動を歩行距離から視線の向き先から連れ添った相手との会話に至るまで、専門的な訓練を経たプロのトラッカー(追跡者)が現場で集めた情報が集計され、分析されることによってインストア・マーチャンダイジングはここまで進歩してきたのだ。
この進歩が、本社のクーラーの効いた会議室でハーバードのMBAたちが練り上げた戦略ではなく、例えばライター志望の文化人類学者によるフィールドワークの技法と、好奇心と、不断の努力の積み重ねによって生じたことは、なんとも痛快なことではないだろうか!
生まれ変わったらなってみたいという職業は以外に思い浮かばないものだが、今なら私はトラッカーになってみたいという言うだろう。
ショッピングは世界共通の経験だ。だが、われわれの仕事は、いまだに変わっていない。パリから東京にいたるまで、その共通点を見つけ出すこと。視覚、右利き、性別など不変で、生物学的な基本要素は何か。変わりつづけているものは何か。それは、なぜなのか。今日の小売業界はもはや変化を先導する立場にはなく、変化に追随する側にある。本章のはじめに書いたように、ショッピングは社会変化、またはあえて言うなれば、社会革命をはかる物差しだ。
:【なぜこの店で買ってしまうのか 】より
いまだかつて、ショッピングをこのように捉えたことはなかった。
きっと私はこれから店に入るたびに、店内の動線の設計について、あるいは視線を誘導するための商品の陳列について、なぜこの店はそのようにしたのだろうかと問いを持つだろう。
それはなんと楽しみなことだろう。