まずは自己紹介

はじめまして。Madokaと申します。漢字表記はおいおいご紹介したいと思います。病院の広報担当者として丸12年になります。
大学を卒業後、地元の新聞社に入社。記者志望で入社しましたが、数年間は他部署へ。念願叶い、同新聞社が発行する月刊誌の記者を約4年務めた後、医療の世界へ。気がつけば病院勤務の方がはるかに長くなりました。

私と病院の広報誌との出会い
30代だった私は、病院はできれば永遠に行きたくない場所、病気も永遠に縁遠くありたいものでした。そんな「非日常の世界」になぜ惹かれたか。
それは私が2009年に就職した、ある急性期病院の広報誌がきっかけでした。短い間とはいえ出版やメディアに携わった経験がある者として、この広報誌のオモシロさには衝撃が走りました。
軽いタッチで文章は綴られ、イラストや写真が美しく、デザインもおしゃれ。病気の話なのに悲壮感は感じられず、これまで病院の広報誌に抱いていた暗い、安っぽい、難しい、字がいっぱい、2色刷り、A3両面、ペラペラの紙…といった勝手なイメージを見事に覆すものでした。
ページにも工夫がされていて、標準体重をオーバー気味の事務スタッフが理学療法士からマンツーマンでダイエット指導を受けるページや、近くのレストランの紹介、初めて知る病院の仕組みなどもコーナー化されていました。

まだまだ少ない専任の病院広報
そして、その病院の門をたたき、面接で院長を前にどれだけこの広報誌が面白いかを語り、「広報誌作りの仲間に入れてほしい」と懇願して、私の病院広報ライフがスタートしました。あれから早12年です。
いまは、この病院とはまだ違う総合病院で働いています。
もちろん広報担当として。この12年で病院の広報担当者はずいぶん増えましたし、レベルも格段に上がっています。でも専任担当者はとても少なく、ゆえに発展途上の世界でもあります。病院も病院広報も、ままならないことは多々ありますが、やっぱり辞められない。面白味のある仕事だと感じています。
「仕事はおもしろ おかしく」は、恋焦がれたあの広報誌の生みの親、私の病院広報の師匠が掲げていたモットー(部訓)です。
このnoteでは「Madokaの窓」からのぞいた病院広報の世界を少しずつお話できたらと思っています。






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