心を揺さぶる何気ない言葉
私の友人には素敵な感性の持ち主がいる。
大学のゼミが同じで、学生時代の終盤は彼女と過ごす時間が多かった。
そんな彼女が発する言葉にはささやかな感動があって、今でも日常の時々に思い起こされては「やっぱり秀逸だな」としみじみする。
「あー、歯磨き気持ちよかった」
という言葉もそのひとつだ。
それまで、私にとっての歯磨きは健康やエチケットのためにしなければいけない「面倒くさい」ものだった。
「なんかさぁ、歯茎のマッサージしてるみたいで気持ちいいんよね、歯磨き好きだわ〜」
のほほんとした彼女の言葉に騙されたような気持ちになって歯磨きをしてみたら、確かにそんな気もしてくるから不思議。
それからは、歯磨きが「気持ちがいい」ものだと思えるようになった。
捉え方のラベルが貼り替えられた瞬間だった。
昨年、私は彼女に会いに東京へ向かった。
大学卒業後、お互い別々の地に住むことになったので、なかなか会えずにいたのである。
私は自分から人を誘うことや会う約束を取り付けることが超苦手な受身人間なので、誰かに会うために旅に出るのはとても珍しい。
それなのに会いにいくことにエネルギーを費やせたのは「またいつか会おうね」の「いつか」が行動しなければやってこないと肌で感じたから。水前寺清子の「しあわせは〜歩いてこない〜 だ〜から歩いていくんだね〜」と同じである。
それはともかく、久々の再会を果たすことができた。そしてまたも彼女の言葉に感動することになる。
彼女の話では、東京だからといって出会いが自然に湧いているわけではない。パートナーを探すのは難しいとのことだった。
周りの友人にそれを伝えると「選ばなければたくさんいるのに」と言われたらしい。
確かに、私から見ても彼女はスタイルも良ければ愛嬌もあるし、努力家で素敵な人なので引く手数多だろう。その話は頷けるわけだ。
しかし、そこで彼女が言った。
「でもさ、なんで私は選んじゃいけないの?」
めちゃくちゃハッとさせられた。それは超ごもっともで、どんなに選ばれたってそこに選択肢が必ずあるわけではないし、彼女ほど素敵な人物がパートナーを吟味するのはむしろ当然のことである。
それと同時に、「選ばなければたくさんいるよ」という一見励ましのようなこの言葉を恐ろしく感じた。
私自身もなかなかいい恋愛ができず、「選ばなければたくさんいるのに」と言われたことは幾度となくあったし、その言葉を誰かに言ってしまったこともあったかもしれない。
その言葉に無意識に心が侵されて、ついつい妥協し、失敗を繰り返してきたことが思い返された。
これはパートナー選びだけに限らず、仕事観や人生観にも通ずる話だ。
あくまで自分を軸にすることが大切であることを再度認識させられた気がする。
私はもっと自分を大切にしたいな...と思った。思い返せば、周りから嗜められて自分の選びたい方とは違う道を選んでしまったことが沢山ある。
まだ軌道修正できるかもしれない。だから、やってみたいことは少しずつでもいいからチャレンジしようと思うようになった。
彼女にとって当たり前の感覚で発せられる言葉の数々が、こんなにも私の心を動かしていることを本人は知らない。というのも実は伝えたことがないのだ。
改めて伝えるのもなんだか恥ずかしいし、なかなか会えなくなった今なら尚のことだ。いつか伝える日が来るのか、来ないのか、はたまたこのnoteが彼女の元に届くのか。それはまだ分からない。
決して偉人の名言のように、眩しく強いものではない。
けれど自分では気づかないほどの何気ない言葉で、あなたや私も彼女のように誰かの心を揺さぶっているかもしれない。
それはちょっとだけ夢のある話で、ちょっとだけ前向きになれる希望かもしれないなと思うのである。
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