わかろうとすることは大事 だけど わからないという状態もとても大切
【在り方としてのヨガ】に集まってくる生徒さんと
話をしていると
落とし穴にはまって身動き取れなくなっている方が
多いように感じます。
純粋で真面目
よりよく在りたいと頑張っている人
そして
(多分)周辺の人たちからは
何不自由なく幸せに暮らしているだろうと
思われているだろうという方(表現がややこしくなってしまった😅)
生徒さん自身も
体の不調の原因や
心がスッキリ晴れない理由が
よくわからなくてカオンを訪れます。
先に書いた”頑張って”こられた方々なので
カオンのところへいらっしゃるまでに
たくさんの学びをされたり
カウンセリングやお医者さんを訪れたりして
自分をわかる(不調の原因を知る)努力をされてきました。
なので初めてのセッションでお話しを伺うと
「もう大体のことは知っている状態だなー」と感じます。
生徒さん自身が
「わかってはいるんですけど、それができないんですよー」と
お話しすることもとても多いです。
そこで
ちょっと厳しく聞こえちゃうかもしれないけど
『できないってことは
わかってないということではないですか?』
と言葉をかけます。
すると大抵の方が真顔になります。
(時々ムッとされる方もいらっしゃいますが、、)
『わかろうとすることはとても大切ですが
わからない状態は決して悪いことではないですよ。』
ここで先述した”純粋で真面目な方”がはまってしまう落とし穴ですが
わからないということが悪いことだという認識を持っているところです。
その悪い状態に留まることから
居心地の悪さを感じて、不安感が生まれます。
そして
そこから出ようと頑張るのです。
その時には
もうそこから出ることが、重要になっているので
本当にわかろうとすることよりも
安易にわかるということを完了させようと
理論や理屈をたくさん仕入れて(頑張って)しまいます。
でも本質的なところはわかっていないので
また
わかろうとあれこれ努力をする。。。
たとえ話としては少しズレているかもしれませんが
どんなに餃子の作り方を勉強しても
一回でも本当に餃子を作った人の方が
餃子については多くわかっているに決まってますよね。
ここで【在り方としてのヨガ】が登場です。
【ヨガ】は【統合】という意味があります。
バラバラに学んだあれこれを
カラダを通してわかる(理解する)ツールとしてデザインされています。
理論や理屈でわかるのではなく
カラダがわかるまで待つ(体験を積み重ねていく)
本当の意味で
腑に落ちる
ことが
【わかる】ということなのです。
そしてそこに至るプロセスで
わからないという状態もとても大切だと思います。
だってわからないということは
可能性がまだまだ わからないくらい(無限に) あるという証拠
自分にはまだ無限の可能性があるということが
わかるって
とっても素敵だと思いませんか?
わからないということを受け入れることで
本当の謙虚さが生まれてきます。
謙遜と謙虚さについては
以前も書いたと思いますが
また改めて書こうかなと思います。
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