韓ドラは嫌いなはずなのに観るのがやめられない病気にかかっています
私は(現代ものの)韓流ドラマが嫌いだ。
見ていてほぼ100%イライラしてしまうから嫌いだ。
それなのに、いつだって家の録画リストには沢山の韓ドラが名を連ねている。
今日もまた録画したドラマに苛ついてしまったが、きっと明日も続きを見ると思う。
こんなに毎回イライラするのに、こんなに毎回見てしまうのだから、もしかしたら私は病気なのかもしれない。
我が家の韓ドラブームは2013年に始まった。かの有名な「宮廷女官チャングムの誓い」を母が見始めたのを皮切りに、朝7chの録画が常態化し、最近は歴史もコメディもシリアスも恋愛も多様なジャンルを見ている。
多分50作品くらいは余裕で見ただろうか。
あまりに録画しすぎて容量が一杯になってしまいそうなので(もちろん韓ドラ以外も録画しているからだが)最近は見たら頻繁に削除するようにしているくらいだ。
チャングムが発端だったのもあり、暫くは歴史ものにハマった。
歴史ものは面白かった。
単純に時代や文化を知るのが面白いし、主人公が様々な陰謀や苦悩の波に翻弄されながらも強かに這い上がっていく姿には涙するし、分かりやすい勧善懲悪のスタイルなので変に頭を使わず見ていられて、本当にただ主人公の一ファンとして、ハラハラドキドキしながら手に汗を握る視聴者でいられる。
一部あった苛立ちとしては、大体のケースにおいて主人公が口下手なところだろうか。
弁明すべきタイミングで、えー…とか、あー…とかいって、きちんと釈明できないのが9割なので、お前ちゃんと理路整然と説明しろよ!!!明らかに話せば分かる誤解だろ!!!と激昂することもあったが、まあそういうものだと思ってしまえば可愛いものだった。
歴史ものを大分見てしまうと、見るものがなくなってきて数年前からは現代ものの比重が大きくなってきている。
そして、私のどうしようもない病気が始まったのもここからである。
現代ものの大きな特徴の一つは、人間および人間関係がやたらリアルなところだ。
(と私は勝手に思っている)
例えば家族。
韓ドラを見る人は多分誰もが感じると思うが、韓国って本当に家族大切にするのね、という印象はよく受け取る。
家族行事は常に優先で、みんなで食卓を囲み、親は食べ物を自分の皿から子どもの皿へ分け与え、夫はいつだって妻の尻に敷かれがちなシーンがいつも出てくる。
そんな微笑ましいシーンも沢山ある一方で、ものすごく歪んだ関係を感じるシーンも多い。
結構な高確率で、親が子どもにこう言い放つのだ。
「この親不孝もの!私をそんなに困らせたいの!?どうやってあなたを苦労してここまで育てたと思ってるのよ!!!こんな役立たず、産んだのが間違いだった!!!」
そして泣き喚きながら崩れ落ちる。
10作品中8作品はあるんじゃないかというくらい、ものすごい高確率でこのシーンがある。
別に家族はテーマ外なのに。
好きでもない御曹司との結婚が破談になった時。
環境は最悪だが有名な大学や職場を辞める時。
悪い成績を取った時。
親不孝者と叫ばれる。
親にとっての「良い子」とは「都合の良い子」であると、まざまざと思い知らされるシーンが多いのだ。
誰かに自慢できたり、老後に自分の世話をしてくれたり、贅沢をさせてくれたり。
散々罵った後に、自分にとって「都合の良い状態」になれば途端に優しくなったり手のひらを返す利己的な親がものすごい確率で描かれる。
そういうのを見るたびに、
勘弁してくれよ。
と思うし、
恥ずかしくないのかよ。
と思うし、
ああ、これはみんなが隠しておきたい本音だな。
とも思う。
だから見ていてとても痛い。
痛いし苦しい。
そしてどうしようもなくイライラする。嫌いだ。
これはたまたま象徴的なので例に挙げたが、別に親に限らず、利己的な存在が常に清々しいほど利己的に描かれるのが韓ドラなのだ。
現代ものの韓ドラマでは、明らかに人として未熟でしょうと分かっていながらも、ふと気が緩むとやってしまう弱さや汚さ、本音がよく見えてしまう。
だがそれを、韓国ってそうなのね、とはとても思えない。
むしろ超盛大にムカつきながらも、いるよねそういう人、もしかしたらそういう自分、というのを絶妙に刺激される。
どこにでもいて、でもなんとなく恥だとは思っていて、悪気も全然なくて、でも恥ずかしい。
そういう等身大の人間臭さがとてもあるのだ。
私が韓ドラに苛立ちながらもハマってしまうのは、「こういうお話だから」と割り切れず、本来はものすごく身近にありそうな狡さや弱さやバカバカしいほどの純粋さや人間臭さに反応してしまうからなのだと思う。
し、多分何故かわからないけれどなんとなく見ちゃう、人はこういう親近感ができてしまうからなんじゃないかと思ったりする。
ちょっとバチェラーやテラハが流行るのと近い原理がある気がする。
他人を覗き見しているから笑えるが、本当は他人事ではないのでどこかでグサッと来たりイラっと来たり自分だったらと考えさせられたり。
ああ、今日もまた新しい番組が始まってしまった。
いやよいやよと言いながらも録画して見てしまう私は、きっと深刻な病気です。
※20201122 天狼院書店ライティングゼミ投稿エッセイ
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