ドラマ『透明なわたしたち』3話 感想・考察
3話は一言で表すならとにかく辛かった。
喜多野くん大好き人間としてはかなり苦しい、、。
富山県民なもので時々富山弁入ってるかもです、今回特に気持ちが入りすぎて、、(?)
本編はこちら↓
https://abema.tv/video/episode/90-2002_s1_p3
女子3人が夜の学校に侵入して楽しそうにしているところが今回唯一キラキラしているシーンだろうか、、、(プール、凄く寒かったはずなのに全然そんな感じしなくてプロだなと思いました)
最初新聞作ろうって碧が言った時は風花も梨沙も楽しそうだったな、
赤いパーカを着た人が映ってたからってそれだけで喜多野くんが犯人と決めつけるのはおかしい、決めつけたわけじゃないとは言ってたけど、そんなん記事にしてしまったらみんな犯人だと思ってしまうやろ、、
放火をなかったことにしようとする学校の判断も正しいとはいえないけど、まるで喜多野くんが犯人のように新聞を書くのもどうかと思う。
喜多野くんが犯人のようにされていても誰1人何も言わない、なんでなんだろう、友達や同じ部活の仲間だったはずなのに、どうして、、、。
凄く辛かった。
梨沙には関係ないと喜多野が言わんかったら、何かが少し違ったんかな、もう少し良い方向に行ったのかな
言葉って怖い、たった一言でも人生が変わってしまうことってあるんだと思った
高木は梨沙が好きだったからどんな形だとしても梨沙を手に入れたいと思っていた?(予告に気になるシーンがあった。
高木;あいつのこと何もわかっとらんな
喜多野;テキトーなこと言っとんなよ
これは、部室で起きた会話だと思われる。"あいつ"はおそらく梨沙のこと。)
高木の推薦が決まっていることに何かの意味があるのでは?やはり、放火の犯人は高木だったが、推薦が決まっているから言わなかったのではないだろうか。
(タバコの不始末ではないだろうか)
みんなやっぱり富山弁上手だし可愛い、私もつられて富山弁になっちゃいそう(自分で富山弁話してて可愛いなんて思ったことなかったし、むしろ富山弁がコンプレックスに感じてたから必死に標準語勉強したくらい笑)
新聞を貼ったのは碧?目が泳いでいる気がした
授業で過去を思い出して懐かしいと思う日が来るって言ってるけど、喜多野くんは、、、そんなこと思えないでしょ、、、廊下歩いててもみんなから色々言われて、辛い、学校に来れなくなってしまったのもほんとに辛い、
今までは5人で行ってた喫茶店や帰り道、それが4人になっているのに何もなかったかのようにみんなが笑っているのが、見てて辛い
喜多野くんが透明な存在になっているのが辛い、
センター試験にも、卒業式にも喜多野がいないのが辛い、もしあの事件がなかったら楽しく学校生活終えられたかもしれなかったのに、
碧が梨沙に変わってないねと言われて嬉しいと言ったのが、、それは褒め言葉じゃないと思うけどな
高木が犯人だとツイートしたのはやっぱり風花だったんだ。風花は東京にせっかく来れて就きたい仕事につけたのに心身ともに疲弊してしまって富山に帰ることになってしまってきっと凄く辛かったと思う
もしかしたら未来の私もこうなってしまうかもと思って辛かった。
夜行バスで富山に帰るところに絶望みたいなものを感じて移動手段一つでも物語の印象って変わるんだと思った。
東京で成功している高木がきっと羨ましかったんだろうな、私は気持ちが痛いほどわかるから、風花を責めることはできない、
風花は高校時代高木が好きだったのになぜ?と思ったけど、好きだったからこそなのかも。SNSで昔のファンがアンチになる今の時代と似ているような気がした。
碧も梨沙もほんとは上手くいっていないけど、それを風花には言ってないから風花は2人とも夢を叶えて東京で成功してると思っているんだろうな。
犯人が尾関だと聞いたとき碧はがっかりしているように見えた
自分が犯人だと思っていた喜多野が犯人ではなかったからだろうか(名前が上がっていた高木でもなく)
尾関はずっと1話から気になっていたし、犯人だと思っていた。
理由はいくつかあるけどまず、チーム曳山のメンバーは6人なのに尾関以外の5人で一緒にいることが多かったのが気になった
ダンス部でもいつも後ろの方にいてほとんど言葉を交わしていないし、、
あとは、1話の喫茶店で喜多野がバイト中の尾関の写真を撮り、冷やかすようなシーンがあった。
それが尾関は嫌だったのではないだろうか。
1話の現代(東京)でのシーンで喜多野だけ飛び降り自殺した女子高生を見ていた。いつも辛い現実から目を逸らさず見ていたのは、喜多野だけなのでは?
それで言えば碧は1番現実(真実)を見ていないように感じた。