記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

ドラマ『透明なわたしたち』 1話 感想・考察


予告↑

本編↑


始まりからすでに暗い。でもハミングは少し穏やかに聞こえる。

最初に飛び降り自殺した女子高生(配信をしていた)は、渋谷無差別殺人事件と何か関係があるのだろうか、犯人が誰かを知っているのだろうか。

オープニングは白黒で色がない。→暗く、重たく感じた。

東京でも地元の友達とは富山弁で話すのがいいなと思った。(風花と碧)

風花は、「幸せ」と口に出す、言葉にすることで自分は幸せだと言い聞かせているように感じた。
夢を抱き、上京したけれど、うまくいかず、地元に帰る。そんな中で地元の友人が東京でバリバリ働いている姿を見れば、苦しくなるはず。

梨沙は充実しているように見えて実はそうではない。
インスタではキラキラとした姿しか見えない。(見せない)

高木は、地元の仲間5人の中で1番成功し、夢を叶えた人だと思う。けれど、遊んでばかりでそれが良い状態とは言えない気がした。

喜多野は、現代パート本当にセリフがない。
けれど、表情だけで伝わるものがある。覇気のない表情を見ているのが辛い。
高校時代のキラキラ感が一切見えない。

碧は、なりたかった新聞記者になれず、高校時代「ゴシップとかやらんし」と言っていたのに今ゴシップを追っている。それが、本当にやりたかったことではないと苦しんでいるように見えた。
実家から届いた段ボールに白エビやとろろ昆布が入っているのリアルでいいなと思った。
同窓会の案内を見て、表情が曇ったのはゴシップ記事会社で働いていることを同級生に話していないからだと思う。(おそらく両親にも話せていない、だから彼がご両親に会わせてといっても表情が曇っていたのだと思う)
上手く生きてるように見せて生きていくしかないと思っているのかも。

予告を見た時は、喜多野が犯人だと思っていたけど、1話を見て尾関が犯人ではないかと思った。

自分の居場所を失ったのはいつからだろう。
本当にそうだなと思ってしまった。

部活の様子、凄くよかった。
富山弁だから余計に私自身の高校時代を彷彿とさせる。

友達と何気ない会話をして、笑って、
そんな高校生活を私も過ごしていたはずなのにいつからだろう。
そんな友達を作れなくなってしまったのは。
1人でいるようになって、本当は全然大丈夫じゃないのに1人でも平気ですよって顔をして自分を誤魔化すようになったのはいつからだろう。

辛いことばかりで思い出したら反吐が出るくらいだったはずのあの頃が何故かキラキラしていたように感じてしまった。

夢を語る女子3人。
でも、その夢は実際、叶っていない。
現実は甘くない。

富山の景色がとても綺麗。曇りが多いはずなのに空は晴れていて、知らない人に挨拶しても返ってくる、あたたかい街だ。
でも、東京は晴れている日が多いはずなのに、全体的に暗い。事件が起きても、人が亡くなっていてもスマホで写真や動画を撮る人ばかりの冷たい街だ。
この対比が見ていて辛い。実際にもそうだからだ。
写真や動画を撮る人たちは無神経だし、異常だ。けれど、実際はこの人たちが悪いのではなく、この人たちをこんな風にしてしまった社会が悪いのかもしれない。

富山弁が皆自然で驚いた、ほぼネイティブと変わらない。
初めて富山弁を可愛いと思った。
特に小野花梨さんは凄く自然だった。1番富山にいた時間が長いからだろうか。

碧の「撮らんといて」が可愛すぎた。

田舎を出たいという気持ち、凄くよくわかった。
地方から見た都会はなぜあんなにも輝いて見えるのだろう。実際輝いてなんかいないのに。

お祭りのシーン、とても輝いて見えた。
いつもの100倍カッコよく見える。本当にその通りだと思う。
こんなに皆楽しそうだったのに、何が皆をこんなにも大きく変えてしまったのだろう。

あんばやし、嬉しかった。個人的に富山の祭りといえばあんばやしだったから、すごく嬉しかった。

いいが?とか私もめっちゃ使うな〜、がをつけがちだなって思う

伊藤さんの富山弁が恋すぎた。

チーム曳山誕生の瞬間がここなんだってわかってよかった。

花火のシーン、凄く好き。誰が誰を好きなのかなんとなくわかる良いシーン。

祭りのキラキラから渋谷へ、キラキラを見た後だから余計暗く見える。

犯人は何に悩み、どうして事件を起こしたのか、しっかり見届けたいと思った。(犯人は3話でわかるそう)

主題歌、sign、良すぎた。透き通った歌声、歌詞がストーリーと合っていて涙が出るくらい素敵な曲。

本当に映画のようにしか見えなかった。配信だけではすごく勿体無いと思う。

最後に

私も主人公たちと同じように夢や希望を抱き、2年半前上京してきた。
富山から見て、キラキラしていたはずの東京が実際はキラキラしていなかったし、何者かになれたわけでも、何か大きなものを得られたわけでもない。
それどころか、富山にいた時よりも楽しいと思う時間が少なく、心の底から笑えることが減ってしまったように感じる。けれど、もがいて生きるしかない、そう思い今日まで生きてきた。
東京には頼れる人がいない。だから私はいつも1人だ。
1人でいることが本当は辛いし寂しいのに自分は1人でも生きていけますというようなオーラを出して、自分を誤魔化して、そうやって生きてきた。
全然大丈夫じゃないのに大丈夫なフリをすることばかりが上手くなっていった。

このドラマを見ていて、私もきっと透明なんだ。そう思った。
居場所なんて永遠に見つからないし、高校生の頃に描いていたものとは全く違う今を生きている。
けれど、それでも、もがきながらも自分なりに生きていきたい、そう強く思った。






この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?