20年代の変異と今後への緊張
2010年代の空気は2020年には変化してしまう
当然の変化ではある、クロコップがKOCで遊戯王に影響を受けたコントをしたり、真空ジェシカがハンターハンターの「俺でなきゃ見逃しちゃうね」を言ったりした。こういったことが案外大きな変化として響いた。
ネットやTwitterに触れていることが空気として共有されるのが20年代なんだなと。でも実はこれ以上に「来た」事がある。
私の父はTwitterを大変に嫌っているし、やっていない。ただしネットには触れており、父もネットを知っていると自負しているようだった。2010年代まではそこまで父との感覚の違いを感じることは無かったが、2020年になってかなりその差を感じるようになった。
たとえばそれはジェンダー観であったり、親ガチャであったり、SNSを中心に起こっていった何かがやっとテレビに上り、父の眼に触れるようになった瞬間の、温度差や態度の方向がである。これをネットに出したら炎上待ったなしだなと言う事もできる。ただリビングはネットではないし、温度や態度の差も他者なのだからと思うことにした。
このテープもってないですか?
BSテレビ東京で放送された「このテープもってないですか?(以下「このテープ」)」という番組を父が騙されて録画した。これは三日連続放送の
モキュメンタリ―番組である。
リビングでの状況は、古いテレビ番組を発掘するものだとばかり思って観たが、段々とそれが今制作されたフェイクであると理解されていくという初回放送だった。 「このテープ」は今は廃棄されてしまった古い番組の録画を視聴者から送ってもらい、それを紹介するというテイで「坂谷一郎のミッドナイトパラダイス」というフェイク番組を放送する企画である。初回放送の違和感から私はすぐさま「坂谷一郎のミッドナイトパラダイス」を検索し、ウィキペディアが削除されていたりニコニコ大百科に移転している事から
「これは仕掛けられている」と断定していった。
父は検索をしないまま一歩遅れてフェイクであることを理解していった。
私はモキュメンタリ―が割と好きな人間で、その後の「このテープ」2回の放送をTVerで視聴したり、同じ大森プロデューサーの手がけた「Aマッソの奥様っソ」が期間限定で再公開されているのを見たり、Twitterで「このテープ」についてのリアクションを見て居たりした。
「このテープ」はネットとテレビの間の視聴者に遊びを仕掛けようとしていて、私はそれに乗った訳で。(個人的には謎によって煙に巻く「このテープ」よりバラエティ番組のスタイルを守りながらもサブテキストを持っていた「奥様っソ」の方が面白いと思った。)そして「このテープ」の放送が終わり、TVer限定の2分間の特別映像や、構成を担当した“梨”の謎ツイートが解読され、TikTokの映像が楽しまれ終わった年明け頃…
録画してあった2回分の「このテープ」を見た父が
「このテープ」を「捻りお笑い番組」として受け取った事に
私は驚いてしまった。父いわく、
出演者の奇妙な演技から制作側は、これを通して笑って欲しいと思っていたようだが、古いバラエティ番組のリサーチが甘いし、面白くはなかった。という反応だった。捻って変になっている笑いが好きじゃない父であるのは分かっていたが、「このテープ」がホラー狙いであるのを感じなかったというのはかなり驚いた。ホラー番組としての失敗を「このテープ」から感じるのは同意する所ではあるが、お笑い番組としての失敗を「このテープ」から見出すのは認識のズレ感と言わざるを得ない。…
これは知識の問題ではなく見方の問題なのだろう。
2020年を越えてSNSでの他者との接し方と、ものの見方と日本語の組み方とが前提化している。こうしたジェネレーションギャップは単なる知識の差を指すだけに及ばず、語り方の齟齬に現れていくだろう。
今までは若者言葉と括られることがあっただろうが、
今後変異は加速し、
アプリケーションの世代ごと分離し、
ズレてしまうだろう。
そうして今度は私が捻りお笑い番組をホラーモキュメンタリ番組として見てしまう日が来る。その事に緊張している。