起業の体力と精神力を養えた学生時代 プロフィール③
らしく楽しい起業研究所 ひらかわかおり
私の起業の原点 プロフィール①
幼少期の苦労は起業のギフト プロフィール②
の続きです。
体力と精神力を養った学生時代
小学校のマラソン大会のおかげで
「実は運動もできるかも?」と気づけて
中学校の部活の選択の幅が広がりました。
最初は友達に流されて
吹奏楽部に仮入部したものの
女子ばかりのわちゃわちゃした雰囲気に馴染めず・・・
(今も距離が近すぎる、わちゃわちゃの関係性は苦手)
部活動紹介で
「私たちと青春しましょう!」と
キラキラ楽しそうな先輩の言葉に惹かれて
熱血バレーボール部に入部することに。
(今もキラキラ楽しそうな雰囲気に流されやすい)
入ってみると、アタックNo.1のような
気合いと根性で乗り切る日々。
テスト期間以外は休みなく
朝から晩まで部活で
体罰、しごきに耐える・・・
(今なら確実に訴えられてるけど、当時は普通)
とはいえ、
実は球技は苦手で万年補欠のピンチサーバー。
当時は先生に怒られないように
言われるとおりに
目の前の練習をこなして
少しでも上達するために必死だったけど
結局レギュラーにはなれなくて・・・
才能がないから仕方ないな。
でも始めたからには、
最後までやり遂げなければ!と
気合いで何とか引退するまで
乗り切ったのでした。
考えてみれば
キラキラな雰囲気が好きで
バレーボール自体が
好きなわけじゃなかったから
楽しくなくって当たり前だったんだよな。
今振り返ると、
実はこの中学校時代の経験も
起業迷子になった大きな理由の一つ
だったなぁと気づいたんです。
起業初期のコンサルさんに
怒られたくなくて
教えられる事を言われるとおりに
頑張る事に必死だったから。
そして、大きく成功できない自分を
周りの人と比べて
才能がないから仕方ないと
諦めかけてたから。
(でも結局、気合いと根性で
乗り切ったのも当時と同じ 笑)
さらにSNS発信して集客する
起業家としては致命的な
「目立ちたくない」という
思い込みができたのもこの時期。
当時、私が思った事を
そのままポンポンと友達に伝えていたら
「笑顔で傷つく事を言うよね」
「ひどい!」
「なんでそんな事を言うの?」
と言われて、
いじめの対象になってしまったのでした。
今は私の才能の一つである
「本質を見抜けて言語化する力」
当時は伝え方がストレート過ぎたから
人を傷つける事に繋がってて
「私の言葉は、人を傷つけてしまう。
本音で喋らない方がいいんだ。
私の存在は迷惑なんだ・・・」
と思い込んでしまい
文句を言われないために
存在感を消したくって
私が側にいても
周りにいるかいないか分からない。
”ゴースト”という
あだ名が付いてしまったほど
自分の存在価値を
見失ってしまったのでした。
自分らしさがわからないから
周りに流されまくって
いじめに加担してた
時期もあったなぁ・・・m(_ _)m
自分の主張をするなんて
あり得ないと言うくらい
常に人の顔色を伺いまくって
合わせまくっていました。
ただ、毎日の怒涛の練習で
体がクタクタになっていたので
考えすぎずに爆睡できて
体力は付いていきました。
中学生を乗り切れば
高校生になって幸せになれるはず!という
謎の希望だけで乗り切った3年間でした。
とはいえ、そのおかげで
体力と精神力は確実に養われていて、
その後の波乱万丈人生を
乗り越え続ける事ができたのは
当時の経験があったからだなと
今振り返ると感じています。
高校に入学して
球技はやめようと陸上部に入ります。
厳しい先生の元、
朝から晩まで部活の日々。
ほとんど遊ばずひたすら部活。
長距離を走り続けます。
高校時代は得意を活かせて
駅伝大会やマラソン大会で
上位に入ることができて
結果を出せたおかげで
キャプテンとして自信を持って
後輩の指導もできるようになりました。
「全ての事には意味がある」
「今の自分に乗り越えられない壁はこない」
と伝えながら練習してた青春時代(笑)
「先輩に付いていきます!」と
慕ってくれる後輩が可愛くて
幼少期のお姉ちゃん経験を
活かすことができた時代でした。
当時から、私の口グセ(座右の銘)は
「全ての事には意味がある」
「今の自分に乗り越えられない壁はこない」
これはどこから来ていたかというと、
プロフィール②でも書いたように
小学生の頃から父の本棚にあった
経営や哲学についての本を
暇な時に読んでたから。
さらに母の影響で
環境問題や食や健康についての本も
たくさん読んでいたから。
両親の影響で小学校の頃だけでなく
中学校・高校もTVは
NHK以外はあまり見た記憶がなくて・・・
当時はみんなと同じ話題に入れず
すごく寂しかったし
苦しかった思い出だったけど
今振り返ると、そのおかげで
私にとっての当たり前が
TVやCMなどに影響されず
かなり本質的な内容を
インストールし続けられてて。
今もうわべの情報に流されず
本質的な情報に対して
アンテナが立ちやすいのは
幼少期・学生時代に
情報制限を掛けられていた
おかげだったと思えます。
とはいえ・・・
情報も行動も
自由が制限され続けていたのは
本当に苦しくって
「この厳しい家庭環境から早く自立したい!」
と、ずっとずっと思って生きていました。
④に続く・・・
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