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幼少期の苦労は起業のギフト プロフィール②

らしく楽しい起業研究所 ひらかわかおり
私の起業の原点プロフィール① の続きです。

 幼少期の苦労は起業のギフト 

 
私は、歳の近い3人兄弟の
長女として生まれました。
2つ下に弟、その年子で妹がいます。

弟が生まれた頃に
「お姉ちゃんだから、
私がお母さんを助けなくちゃ!」と
お姉ちゃんスイッチが入り

2歳の頃から
「しっかり、ちゃんと」
私の口グセ。




両親ともに銀行員で人格者。

父は支店長で
朝早くから夜中まで仕事の
熱血サラリーマン。
土日は接待ゴルフで休みなし。

母は専業主婦となり、
自分後回しで夫と子どもに尽くす
典型的な良妻賢母。

父は次男だったので核家族。
新興住宅地にマイホームを建て
住宅ローン返済のために節約生活。


幼少期から
空気を読みすぎていた私。

「支店長の娘として
世間に恥ずかしくないように
しっかり育てなければ」

という母の想いを
無意識に汲み取っていて

父と母に迷惑や心配を掛けてはいけない!と
自分に厳しく他人に優しい人生
を送り始めます。



お姉ちゃんだから両親には甘えられず
子どもらしさを封印した
”リトルお母さん”として
幼少期を過ごしていました。

しっかりちゃんと
弟や妹の世話をすると、
母や父が喜んでくれたから。


祖父母の家に
預けられてた時期は
甘えられてた部分もあったけど

しつけが厳しい昭和時代。

「若い時の苦労は買ってでもせよ」
「人様に迷惑を掛けてはいけない」

という祖母の言葉を
素直に受け取りすくすく育ち

気がつくと・・・
修行のような人生に(笑)


そのおかげで
起業ウツになっても
気合いと行動で抜けられたし

いろんな経験を通して
自分の内面と向き合い続けて
幼少期の心の傷を癒してきたので
今となれば感謝しかありませんが

幼少期に甘えられなかった歪みは
人生の至る所に影響
していて
私らしく楽しい起業からかけ離れて、
起業ウツに繋がる大きな原因と
なっていったのでした。




気がつくと
いつの間にか・・・


”人に甘えたり弱音を吐いてはいけない”

”わがままを言って人に迷惑を掛けてはいけない”

”自分よりも人を優先しなければいけない” 

”真面目にしっかり頑張って期待に応えるべき”

”空気を読んで本音は我慢するもの”




昭和時代の長女あるあるの世界観
「努力・忍耐・自己犠牲」

が標準装備されていき
本音を抑えた自分後回し人生
をどんどん歩んでいきました。




今振り返ると幼少期から
頑張る事で沢山褒められたから
「私はできる!」という
自己効力感は高かった
けれど

「良い子にしててね」
と何度も言われていた事で
「私は悪い子だから、良い子にしなきゃ!」
と思い込んでしまって

「ありのままの私ではダメなんだ」
と自己肯定感が低かった
んです。



本来、健全な成長段階としては

①幼少期にどんな自分を出してもOK!と思える
しっかり甘えられる環境で過ごすことで
安心できて自己肯定感が育っていく。

②自己肯定感が育っているから
「自然体のどんな自分でもOK」
と色々なチャレンジを続けて
失敗しても周りに頼りながら
安心感の中で行動
することで
成長を続けられる。

③失敗しても大丈夫と思える
環境でチャレンジを続ける事で
自然体の自分らしさを生かして
「自分はできるんだ!」という
自己効力感
を付けていく。


①〜③の順番で成長できると
自分らしさの土台がしっかりして
迷子にならずに
安心してチャレンジを続けて
自信をつける事ができます。



でも、私の場合は真逆に育っていて

素直に甘えられてないので
自己肯定感の土台がグラグラ
で不安定。

それなのにお姉ちゃんとして
しっかり頑張って沢山行動して
褒められる経験値だけは多く得ていたから
自己効力感は高くて行動すればするほど
評価されて偽物の自信でブレブレになる。


起業してからは
「自己流は事故るから学ばないと成功できない!」
と起業の学びジプシー状態を辞められず、
学び続けても大きな成果を出せない・・・

私が起業迷子の負のループに陥っていた根本原因は

自己効力感の高さと自己肯定感の低さの
大きなミスマッチ

だったのでした。




小学校に入学し、

”クラス全員と仲良くするべき”
(友達100人できるかな?の時代)

”文武両道、優等生を目指すべき”
(全てが平均以上を目指す時代)

という昭和の教育の教えをしっかり守り、

優等生として学級委員や
様々なリーダーとして頑張ることで
積極的にPTAの役員をする母や
先生たちから褒められるのが嬉しくて

自分は我慢して人のために頑張ることが
当たり前の人生
がさらに加速していきました。




そんな中で、
「もっと私らしく生きたいのに」
という違和感を感じた
記憶の始まりは8歳頃。
(ずいぶん変わった子どもだったな)



その頃から、心の中では
「今の自分は私らしくない」
と思っていたはずなのに、

自己肯定感が低かったから
両親や先生など周囲の期待に応えるために
常に周りの意見を優先して自分の主張ができず・・・


「どうしたいの?」と聞かれた時に
空気を読みすぎて相手の意見に合わせ

「どっちでも良い」
「あなたの意見と同じで良い」

自分の意見を言えず
人に合わせまくっている内に
自分の本音が分からなくなり

気がつくと自分らしさを見失っているけれど
人から求められるものには応え続けられる。

自分では自分を評価できない。
でも、人からは評価される。


本来の自分と
周りから評価される自分のギャップが
益々大きくなる。

今振り返ると、
ここも起業ウツの原因の一つに
なっていたのでした。




小学生高学年になり、
生まれつきの弱視で
2歳から掛けていたメガネを
「メガネザル」「東大メガネ」と
いじられ始めます。
(当時はクラスのメガネ女子は私1人だった)


また、普通に話してるだけで
周りから振り返られるほど
特徴がある声を「アニメ声だね」と
いじられ始めます。
(今は話し方が変わって少し落ち着いたけど)


さらに、小6になっても
良妻賢母でしつけが厳しい母から
弟妹と一緒に8時に寝かされる。

TVの歌番組もドリフなどのお笑いや
話題のドラマなどは
教育上良くないからと見せてもらえない。

テレビと言えばNHKとアニメ。


クラスの友達との会話に全く付いていけず
ただ表面的な笑顔で相槌を打つだけ。
テレビの話題が苦痛でたまりませんでした。


とはいえ、
今振り返ると
当時、テレビの情報制御されて
情報源が本しかなかったおかげ

経営の本や哲学書、
自然療法や環境、
育児についての本など
父と母の本棚にあった本を
読み漁って
いて

その後の私の人生に
素晴らしく大きな影響を
与えてくれたので
今は感謝でしかありません。



ただ、そこから
人と同じになれない自分はダメなんだ
頑張って普通に見せないといけない!
と思い込み、自分らしさを
さらに隠すことに繋がります。


今となれば、
令和時代、個性の時代の
起業家としては

特徴のある声って
唯一無二の私だけの魅力でしかない!って
心から思えているけれど

昭和時代の小学生って
「みんなと同じ」「普通でいる事」
が本当に大切な時代だったから

人と違うのが本当に辛かったな・・・


「みんなと同じになれない
自分の存在を消したい」
と思った事が何度もありました。
(と言っても、自分の布団に閉じこもるだけでしたが)


そんな時に、
たまたま校内マラソン大会で
上位に入ることができ、
「実は運動得意なのかも?」

と気づけて、勉強ばかりの
ガリ勉優等生から少し脱出した事で
中学生から少しづつ
人生が好転していったのでした。
(当時はスポーツできる人が憧れられてた)

③に続く・・・

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