何としても守りたい大切なもの
「今のミイコにとって、面白さの基準は『学び』なんだね。」
「その漫画からは、どんな学びが得られるの?」という、おすすめ漫画に対する私からの質問に、姉は少しビックリしたようだった。
姉の言葉に私もハッとした。自由に使える自分時間には限りがある。
学びなんてなくても、癒しをくれるもの、ただ笑わせてくれるもの、「へぇ」と思える特に役立たない雑学、どれも大好きだ。
だけど、長編の漫画やドラマなど、費やす時間が多くかかるとわかっているものについては「何かそこから得られる学びがあって欲しい」って思っている自分に気づくことができた。
私は「幸せオタク」であり、自分と向き合うこと大好き「内観オタク」でもある。
自分の心としっかり向き合うためには、モヤモヤを感じたり、心にズキッと突き刺さるものを感じたり、何か「考えるキッカケをくれるもの」の存在は必要不可欠であると私は思っている。
今日は、そいさんが教えて下さった『奇跡の醤』という本をキッカケに、私が自分の持つ価値観について改めて考えてみたことを書いてみたいと思う。
この本はフィクションではなく、東日本大震災で被災した老舗醤油蔵「八木澤商店」の奇跡の再生を描いた実録である。
作られた物語ではなく、実際に多くの方が犠牲になっており、もしかしたら被災者の方がこの記事を読まれるかもしれない。
私には大きな災害に被災した経験がない。
本文で書いていくのは読書感想文ではなく、この本からキッカケを与えられ私が自分と向き合うために思考したことの一部であるが、それを表現するために、私の考えの及ばない部分で被災者の方を傷つけてしまう不適切な言葉が出てしまうかもしれない。
そう思うと書くのをとてもためらうが、この本の存在を教えてくれたそいさんは、私が今までnoteで紹介してきた本を誰よりも多く読んで下さり、そしてその感想をいつもnoteで丁寧にシェアしてくださる方である。
『3千円の使いかた』の男性視点での感想を知りたい! と記事に書いたところ、すぐに読んで下さり感想を書いてくださった。とても嬉しかった。
「自分が読んだ本から他の人は何を感じ取るんだろう?」
それはとても大きな学びになり、そいさんが書かれるnoteからはいつも多くのものをいただくばかりで、私は何もお返しできていない。
そいさん推薦のこの本を読むにあたり、「この本から私が得たことを必ずnoteに書こう」という思いを持って最初から読んできた。
そしてそのおかげで、私は自分の持つ価値観を改めて深く見直すキッカケをいただけた。(予想外のものが出てきてしまったよ)
本の感想を一言で言うならば「人の本質は”光”である」ということを証明してくれた本。
人間には光と影(闇)のような部分どちらもあると思うけれど、そして闇の部分も避けては通れない「人の本質の一部」ではあると思うけれど、
「やっぱり人の本質は”光”だ! 人間捨てたもんじゃない!」と本気で感じさせてくれる本だった。
私はこの本の一部分を、自分が成長するための「ヒント」として切り取り、自分との対話に使用しています。
著者 竹内早希子さんはじめ、この本に出てくる人物・内容で、私が否定するような対象はひとつもありません。
が、今から書く内容は読書感想文ではなく、
で、あり、その過程で私が登場人物を否定しているようにみえるかもしれません。
でもそれはけして否定やジャッジではないこと、理解していただけたら嬉しいです。
と、ここまで書いておいてなんですが、実はまだ自分の考えがまとまっていません。
今日は11/2、今から一週間かけて、書きながら頭の整理をしていきたいと思っています。
マニアックで未熟な私が、実際に起きた出来事・実在する人物を元に、誰かを傷つけてしまうリスクがあることを承知の上で、自分の庭(note)でこの物語から得た本音を書くことをお許しください。
前書き1800字/残り4500字(長い💦)
🐸
『奇跡の醤』の主人公、中心人物に当たる方は「八木澤商店」の現社長である河野道洋さん。
河野さんの被災当時の状況を、そいさんのnoteからお借りします。
被災者の一人である河野さんは、精神的にも大きな傷を負い、会社の被害額も相当なもので全く余裕のない状態だったと思う。
本来であれば、誰かにサポートされ守られてしかるべき存在。
そんな中で、会社の再建と自社の社員を守るだけでなく、河野さんは陸前高田の街の復興にも尽力し奔走します。
これが震災直後の短期間であれば、まだ可能かもしれません。
でも何年も何年も、自分自身の余裕がない中で人のために動き続けること、それを貫き続けることは、現実的に本当に難しいことだと思います。
河野さんは心労が重なり、睡眠薬なしで眠ることができなくなっていました。
「私にはとてもこんなことはできない」
多くの人に支えられ、そして支えながら、会社の再建や陸前高田のために行動する河野さんを尊敬の眼差しで見るとともに、ある罪悪感が私の中に目覚めてきました。
「まず自分を一番大切にすること、まずは自分を守ること、まずは自分を満たすこと」
シャンパンタワーの最上段は自分自身、そのグラスを満たしてこそ、一番下のグラスまでシャンパン(愛・豊かさ・エネルギー等)を注ぐことができる。
「自分ファースト」という価値観を、私はとても大切にしているからです。
自分のグラスにシャンパンを注がずに、何年も何年も人のために動き続けている人たちがいる。
私には「他人のために」と見えていたけれど、きっとご本人たちは、他人事ではなくすべて「自分事」として考え動かれていたとも思う。
それでも、八木澤商店の女性社員の一人は「仕事が楽しい」と思いながらも、胃や腸に穴が開くほど無理をされていた。
「どうしてそこまでできるのか?」
そんな疑問はあるけれど、尊敬こそすれこの人たちに対し悪い感情なんて湧いてきようがない。
なのに、私の胸はなぜかずっとチクチクし続けていた。その理由を、ずっと考え続けていた。
🐸
私には、悩みを抱えていた友人を途中で見捨ててしまった過去がある。
力になりたいと思ったけれど、最後まで支え続けることができなかった。
「私は辛い」と、友人に伝えた。友人を深く傷つけたと思う。
しかも一度だけではなく、もう一度。
私は自分の心を優先し、二人の友人を傷つけた。
それぞれ理由は違うけど、友人たちに寄り添い続けることが辛く、私に余裕がなくなってしまった。
「どうか少しずつでも良い方向に向かって欲しい」
本気でそう願い、私にできることは力になりたいと思ったけれど、自分の気持ちを無視してそばに居続けることが、私にはできなかった。
この本を読み、後半の奇跡の再生ストーリーに涙を流し感動しながら、八木澤商店や陸前高田の街の復興を心から応援しながらも……
無理をしても他者貢献のために必死で動き続ける人たちに尊敬の念がわいてくるたびに……
「まずは自分を守ること」
私の大切な価値観であるその言葉で、友人を見捨てた罪悪感に蓋をした私の「正義」が脅かされるように感じ、怖かったのだと気づくことができた。
途中で見捨てることになるくらいなら、はじめから何もしない方がよかったのか?
もう二度と同じことをしたくないのに、これについてはまだ何が正解かはわからない。
🐸
11/7、やっと続きを書けそうだ。
「この歌聴いてみて! この人、天才だから!」
夫が勧めてきた歌は、かりゆし58の「嗚呼、人生が二度あれば」。
その歌詞にヒントをもらえた。
私が彼女たちを傷つけないためには、どこまで人生を巻き戻したらいいんだろう?
巻き戻せるのは私の人生だけで、彼女たちの人生を戻して変えることはできない。
どこだ? どこまで?
少しずつ戻しても、一旦仲良くなってしまっていたら、私は無視できない。
彼女を壊してしまった理由は私には関係ない。私の行動を変えても、その悩み自体を消すことはできない。
今の私はきっと、また同じことをしてしまうと思った。
出会った公園まで戻ってきた。
私と彼女の息子は1歳で、私のお腹には下の娘がいた。お腹の大きな私の代わりに、滑り台で遊ぶときは一緒に階段を昇り息子の背中を支えてくれた。
年子の子育てで大変だった私を、一番近くで支えてくれた親友だった。
そんな彼女をこの7年後に私は見捨てるんだから、出会っても特別仲良くするのはやめておこう。家に誘うのはやめておこう。
いや、彼女から誘われたら私はそれを断れない。だから出会っても一切、関わってはいけない。
私が彼女を傷つけないためには、出会う前まで巻き戻してくる必要があった。それはあまりにも悲しいな。
もし、二人との出会いがなかったとしても、私は結局同じことをして他の誰かを傷つけるのではないか?
では、誰も傷つけないためには、一体どこまで巻き戻したらいいんだろう?
私は友人にとどまらず、家族であっても、自分の子供にさえもちょっと冷めているところがある。
「家族でも過度に甘えず、甘えさせず」といった感じで、「自立」「自己責任」の精神を母に叩き込まれてきたからだ。
実家の家族関係はあっさりしていて、私はそれがとても心地よい。
親と子という関係性ではなく、一人ひとり自立した大人として対等な付き合い方をすることが、母が何より望んだ家族の形だったと思う。
親のせいにするわけではないが、私が同じ過ちで人を傷つけないようにするためには、ここまで巻き戻さなければいけないだろう。
いや、もっと前だ。
もうひとつのヒントがnoteから降りてきた。
かすみさんが書かれたnote「たいせつ」
私の「大切」は誰だろう? 考える……
私の「大切」は、ワクワクちゃんと自由ちゃんだ。
その後ろには、他人には何も言わない「責任くん」がいて、ひたすら私の中の「大切」を見守っている。
「責任くん」は基本的に、私の未来の幸せのためにだけ発動する。
これが私の「たいせつ」だ。
同じ親に育てられても、私と姉はまったく違う「たいせつ」を持っている。
母の想いや子育て方針だけでなく、私が生まれ持った気質も誰かを傷つける原因となるならば、
私は人生を一番はじめまで巻き戻し、こんな自分が生まれてきたことを否定しなくてはいけなくなってしまう。と、思った。
ここまできたら、誰にどれだけ非難されようと、どれだけ冷徹だと言われても、どんな言い訳をしてでも、私は自分で自分の存在価値を守ると覚悟する。
こんな大げさな話をしてまで、キレイな言葉を並べ立ててさも自分が正しいように言い訳してまで、私が「自分を大切にすること」、「自由ちゃん」を守ろうとすることをイタいと思う人はいるだろうか?
反対に、私が私の「たいせつ」を語ることが、誰かを傷つけてはいないだろうか?
「責任くん」は、「自分の将来に自分で責任を持つ!」という一面と、まだ私が手放し切れていない「ねばならない」という二面性を持ち、それはたまに顔を出してくる。
自分を守るために友人を見捨てた私を、私の中の「責任くん」はまだちゃんと消化できていなかった。
これを納得させるためには、自分の存在自体が否定されてしまうところまで下りてくるしかなかった。
最近、どんな本を読んでも、この記事で紹介した本『ビジョナリーカンパニー』の内容が頭に浮かんでくる。
自らの幸せを考える上で、自分のコアバリュー(中核的価値観)をしっかり認識するということがどれほど重要なことか?
何としてでも守りたい大切なものはなんだろうか?
「自分を大切にしよう」「人にやさしく」
どちらを優先すべき??
時と場合によっても、人によってもその価値観は違うと思うけど、何が正しいではなく、これはもはや覚悟の問題だなと思った。
どちらを選ぶにも覚悟がいる。
私の真ん中にいるのは「ワクワクちゃん」と「自由ちゃん」。
二人が自分勝手に暴走しないように、傲慢にならないように「責任くん」も居てくれる。
かすみさんが教えてくれたように、私は覚悟をして、この3人を守ろうと思った。
それと同時に、他の誰かの「たいせつ」が、私を傷つけることがあることも覚悟しよう。
🐸
どんな読まれ方をするんだろうな?
私はこの記事を書くのがとても怖かったです。
でも「絶対に書く!」と決めて最初から言語化を意識してきたことで、しっかりと書ききるためにも、より深く考えることができました。
それでも投稿ボタンを押すことは、また別の勇気が必要でした。
「自分を大切にする」
これを単体で語る分にはそれほど勇気は必要ないのに、そこに誰かの犠牲が伴うと、どうしてここまで勇気が必要になるんだろう?
何よりも自分を大切にすると宣言することが、こんなに難しいのはなんでだろう?
そいさん、素晴らしい本を教えていただき、貴重な機会を本当にありがとうございました。
そしてかすみちゃん、大切なものを守る勇気と、「幸せのヒント」をありがとう。
だいぶ長くなってしまいましたが、ここまで読んでくださったみなさま、ありがとうございました。
八木澤商店さん、がんばってください!
ふるさと納税で応援します。
ふるなび
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ブログミュージックビデオ(BMV)「あとひとつ」
cover 誰か私に名前を。さん
illustration くーや。さん
movie ミイコ
いただいたサポートは、夢の実現のために使わせていただきます 私の夢は 日本全国の学校・図書館に、漫画『宇宙兄弟』を寄贈すること https://note.com/arigatou_happy/n/n4b0d2854718c 一歩一歩かぺる(頑張る)しかない!(2023.3.21)