罪悪感・無価値感
が顔を出していただけだったのかも。
(モヤモヤの続き)
こういう場面になかなか出くわさない生活をしていた。
人の中へ少しずつ入っていこう、戻っていこうと決めた矢先、モヤモヤに出くわす。
まだ、あるよ、もってるよ、と気づかせてくれるための出来事だった。
1日経って、すごくどうでも良い事で、気にする必要もないしょうもない事だというのは分かっていた。それを受け止めるような事では全然ないのに、なんだか握りしめている。
それは、私が私に対する評価をいつも外に求めてきた根深いこの罪悪感、無価値感が人の中に入っていく事で、自動再生される仕組みを自ら作り上げ、ずっと刷り込まれいた証拠なんだろうな。もう、要らないんだ。
ずっとずっとその感覚がループしてしまうのが分かっていて、人の中に入るのが嫌で苦手で避けてきた。
でも、1人で過ごす時間をたっぷり自分に与えた事で、人の中で循環するエネルギーの大きさや楽しさもやっと体感として理解できるようになってきた。
だから、戻ろう!そろそろ入っていこう!と思い、動き始めた。
それが今週。週6活動にチャレンジ。自分の心地よい働き方を試行錯誤しながら、これいいかも、と思った先週。
全部全部、意味があっての出来事。
外したいし、もう、外そう。
自分が欠けてる、ダメ人間、できない遅い要領悪い、挙げるとどんどん出てくる。
なぜなら、今までそのレッテルを自分の中にデフォルトで、持ち続けてきたから。
集団の中で、何かをするとなった時、いつもそのレッテルが全身にこびりついていた。
1人の時間の中で、誰とも比較されず、ただ自分が好きなことに思う存分時間を使ってきて、それは安心で安全な時間。でも、それだけじゃ物足りなくなってきて、外へ出始めた。刺激を求めて衝動的に動いてきた今までの感じとは違って、人との交流を頭とか理屈ではなく、体感として感じながら接していきたいと思えた。私のままで交流していくための場所選びにはかなり慎重になっていた。そして、選んだ場所での、交流が始まり、そこで教えられたのはやっぱり昔のままの考え方、癖、周波数を引き戻している事。左脳さんの抵抗だ。ここからが本当の意味での再生。
立ち止まって、感じて、観察して、
そんな風に一歩ずつ私の大切な深い深い本音と、自分である事を意識しながら、確認しながら進んでいけば良い、と思えた。
並木さん動画にヒントを頂く。
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