エネルギーをチャージしてくれる仕事
仕事というものを捉え直し始め、いろいろと試行錯誤しながら、今月から新たに林業の道へ。
働くペースも日数も自分にはぴったりで、何よりも関係者しか通れない山道をひたすら進み、電波も届かない四方八方をただ山に囲まれた場所まで連れて行ってもらえる事に、ただただ感謝の気持ちでいっぱいになる。
正直、何もできない私は、きっとベテラン親分からみたら、何しに来たんだ?と思われてるかもしれない。
でも、少しずつチェンソーやナタも使えるようになりたい。
しかしこれらはホントに危険がいっぱいで、何よりも足場は山の斜面。そんな安定しない場所で刃物を使うのだから、気合いと集中力、体感覚をフル稼働させないといけない。短期間の雇用でたどり着けるのかわからないけれど、私もやれるようになりたい。
普通に考えて、この年齢でど素人で林業なんて無理なのは百も承知だったけど、なぜか頭では分かってるけど、気持ちではやってみたいが離れず、なんか道はあるんじゃないかとぼやっと思っていた。
応募者がいなかったお陰で自分にバトンが回ってきた。
会社組織を思い出すような事はありつつ、山という場所で働ける事がありがたくて仕方ない。もちろん、自然の生き物たちは優しいばかりではなくて、蜂やヒルやダニが生息する中で、泥だらけになって動かなければいけない時もある。今はちょうど寒くなっているからまだ良いが、春から覚悟がいる。契約終了になるのに、ずっと山で働いている気がしていて、勝手に心の準備を始めている。
私は頑張る時の掛け声がある。「くっそ〜」と思えたらエネルギーがわく。その声が会社を辞める時は全く出てこなかった。それはもうそこに興味がない明確な合図。今、その掛け声がたくさん出てくる。
会社勤めの期間は、自分の生活をうまく回せなかった。理想の暮らし方があるけど、全然できない自分が心残りになっていて、やり直したいという気持ちが今すごく強い。本当はやれるのに、って心では分かっているんだろうな。そして、その時できなかった理由も。完全に不要なところにエネルギーを注いでガス欠だった。
山仕事をして、仕事そのものが私のエネルギー源になっている事に気づいた。やりがいとか生きがいとか、気持ちの面で張り切っているのではなくて、しっかり睡眠をとらないと翌日は動けないし、お弁当や水分補給、寒さ対策などを考えて前日は準備する。
帰ってきたら、早く寝るためにその日片付けと準備。生活の動き、流れを作ってまわしていく。そういう生活をやりたかったけど、あの頃はクタクタで何もできなかった。
今、動けるのはストレスがないし、私の好きな場所だし、行くのが楽しみだから、その場、その仕事と正面から向き合えている気がする。
平日5日勤務のサラリーマンの金曜日は解放感でいっぱいだから、街には酔っ払いが溢れかえるのかな。
今は、平日3日勤務。週の最終日はお弁当の準備からの解放感はあるけど、そもそも食事の支度の延長だからそこまでストレスでもない。何も抑圧されたものがない。だから、気兼ねなく飲んで昼まで寝るぞーってのも時には楽しいかもしれないけれど、休みの日も仕事がある時と同じようにしっかり生活を回して、日々の時間を楽しみたいと思うようになった。どこかへ出かけたりしなくても、目の前の事を大切に過ごす事がすごく楽しくて充実感が得られる事に気づいた。
自分の暮らしと生業が地続きのように一致している生活を送りたいと思って退社した。
その地続きの暮らしが、少しずつ形づくられてきている。体感として、仕事ってものの見え方が、すごく変わってきたのを、今日、久しぶりの事務仕事をして感じた。同じような事をしたからこその、今の心持ちとの差。
私は現場が好きなのに、1日内勤ですとーー!と思い、事務作業を命じられたのが嫌でたまらなかったけど、やってみて今の状況を俯瞰して把握する事ができた。そして、あの頃の働き方や自分の心持ちが少し離れて見つめられた。
田舎暮らしで、まだまだやりたい事がたくさん。
今日、たくさんの感謝と暮らしの充実感を振り返り、暮らす土地や自然環境、景観への憧れも大事にしたいと思っていて、こだわりポイントではあったけれど、どんな人たちと何をするか、そこでの出会いやご縁、つながりといった目には見えないけど、暮らす上で物理的な環境よりも、ひょっとしたら大事なポイントなのかも、と初めて思った。
北アルプスへの憧れが根底にずっとあったけど、結局は出会う人たちの中で、暮らしの中身が形作られていく事に気づく。
こっからまた少し前に進めそうだ。
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