発達障害という言葉に認識のズレがある
いつもはSUIメインで執筆をしているが
今回は人間のMARINAとして執筆する。
私は広範囲の発達障害だ。
(多動優位ADHD、 HSS型HSP、自律神経失調症(OD)、低血圧低血糖症、睡眠障害、二重人格、双極性障害(躁鬱)などなど…)
発達障害について知らない人からすると
よく分かんない漢字とアルファベットがえっへんと言わんばかりに一斉に目の前に立ち並んでいる。
頭は???でいっぱいだろうか。
人は自然に、自分にとってキャパオーバーな情報を遮断したりする。
難しい話と思われがちだが、今回はそんなこともない。
言葉という概念自体に切り込んでいくからな!!
私はよく人に自己紹介する時に
自分が「発達障害」であることをカミングアウトする。
しかし大半の人は「嘘だ〜違うよ〜」とか
「みんなそうだよ〜」で、発達障害というワードから話が広がらない。
でも私はこのワードは、これからの新しい概念を創っていくキーワードだと感じる。
言葉があることによって成り立っている世界で
言葉を使いながら
ずっと感じてきた違和感
言葉をテーマに論じていこうと思う。
”言葉”というものが持つ枠組について
言葉のフィルターについて
言葉の何層にも重なる解釈の違いの話
意識体の話
言葉が生む認識のズレについて今回は言及しようと思うのだ。
まず結果からぶっこむと、発達障害=スターシードという認識で私は発達障害という言葉を使っている。
スターシード説明
つまり私の頭の中はこうだ。
初めまして。宇宙人ですって言いたいけど、伝わらない。
仕方ない。現代の言葉で言う発達障害と説明しよう。
定型発達という社会の正常と捉えられるような模範の人間様たちと比べたら、
凹凸が多い。つまり得意なこととできないことの差が激しいタイプの人間だよ〜
ということだけなのだ。
そして哲学的なところへ突入する
言葉は、何かを限定して表すときに用いるツールであり
単なる枠組みに過ぎない。
「発達障害」という言葉があって、正式な診断があったとしても
実際にはここからここまでの人が完全に発達障害である という線引きを地球に生きる全人類で判定できるわけがないだろう。
実際、多くの人が時に落ち込む場面があるだろう。
それを鬱と判断したら、みんなうつ病の側面(部分)があるということだ。
どこからが鬱で、どこからが躁でという線引きは
病院の発達障害チェックシートなどで判断されるが
それで診断をつけて処方箋を出すためである。
言葉の真相は、グラデーションで
そこにあるのは大体の集合意識が創ったイメージであると言える。
男と女でさえ、体の性は生まれた時に判定され示されたとて
その先自分が生きていく世界で
どのジェンダーを選ぶか
どう生きるか
何と名乗るか
全て自由なのである。
途中で変わる人もいるし、性別がないというジェンダーさえある。
言葉とはそういうものだ。
だから多様性の時代で、違いを認め合うためには
個々人の言葉への先入観をぶっ壊していく必要があるのではないか。
概念のすり合わせをして
今の時代に合う
新しい集合意識を創っていく
そうすることで私たちは気づいたら
違う次元へ到達しているだろう。
私の中では、発達障害=スターシード ポジティブなイメージで話している。
受け取る人が発達障害=病気 ネガティブでマイナスなイメージを持っている
この言葉の解釈の違いやずれは消すことはできない
このズレこそが世界線の違いなのだ。
同じ言葉を話していても
解釈や捉え方は十人十色
私はいろんな次元にアクセスしながら
小さな枠組みにハマらずに生きていこうじゃないか。
まぁ人類は進化して、いずれ光(テレパシー)を使ってコミュニケーションをとるようになるから、言葉というのは人間の古いバージョンのOSだとでも思っておけば良い。
以上。
気づき
言葉の内容だけではなく、話かた、オーラ、声、表情など
いろんな要素で解釈している
リアルで会うと尚伝わるものがある
言葉への執着を捨てよう!
愛を推し量るのが言葉なんて
そんなの切ない
一人一人違う次元で生きている
尊重しあう