#4 つまらないものを楽しむ。
自分も以前はそうだったが、自分が触れた事のないものをみるときにまず否定から入る人が多い。「何でこれが流行ってるの?」「これの何が面白いの?」そのコンテンツを体験した上での評価なら理解出来るが、渦中にも入らずに、人が集っている様を遠目で見ては「自分はあの連中とは違う」とさも違いの分かる人間のように勘違いしている。これはとても勿体無い。自分はマイノリティを好むキャラを貫き通す、と決めているなら話は別だが。
どこかでそのコンテンツの話題になった時に、その人は当然その面白さを否定をするが、そもそも渦中にいないので見当違いな否定をする。口に入れたことのない物を「これはきっと苦いから嫌いだ」と食わず嫌いしているようなもので、いざ口にすると甘いかもしれないし辛いかもしれない。周りの人間は苦くないよと勧めるが「自分は苦いと思う」と口に入れようともしない。もしかしたらそれが一番の好物になるかもしれないのにだ。これは自らチャンスを潰しているだけで、何のメリットにもならない。
そもそも、話題になるようなコンテンツには必ずどこかに話題になる要素がある。それを面白いと判断出来ない人は、それ自体がつまらないのではなく、自分にその面白さを見つける能力が無いのだということを理解するべきだ。
それでもまどマギだけは分からなかった。
一歩進んだ話になるが、当然それらを踏まえて渦中に飛び込んだ上でも苦手なものはあるだろう。しかしこれを、苦手だー、と一蹴してそれから見向きもしなくなるのも勿体無い。つまらないものからいかに面白さを見出せるか、が人生を楽しむポイントになると思う。好きなものを面白いと思うのは当然だが、嫌いなものや苦手なものを楽しめるようになったらもう何でも楽しいはずだ。
ここ最近アニメや漫画で取り上げられている「なろう系」というジャンルがある。いわゆる中二病を全面に利用した作品で異世界というのがキーワードとなっている。僕はこのジャンルが大好きなのだが、多くのアニメ識者はこれを好まない。中二病じみていて臭がったり、もう自分はその作品のレベルでは無い、ということなのだろうが、これが高二病である。自分はそんなものでは楽しめないという高二病よりも、何でも楽しめる中二病の方が人生は楽しいに違いない。
その高二病の人にいざ「何が好きなの?」と尋ねると、まさに通ぶったマイナーなものを挙げる。マイナーなものがメジャーになれない理由を考えれば、一般的にどちらが面白いかは明白なはずだが。人の価値観を否定するつもりは無いが、ただの格好付けでやっているなら改めた方が良いかもしれない。
僕はそういう人達を見てそれもまた楽しんでいるので、やっぱり改めないでほしい。