#12 誤解の少ないコミュニケーション①
今から書く内容は、「そんな事は当たり前だ」と思われる方が多いかもしれないし、何ならそうであってほしいと思うが、あまりにも心当たりが多いので綴らさせてもらう。
コミュニケーションを上手く取るためにはいくつかの段階があり、今回書くのはコミュニケーション以前の問題だが、「文字を正しく読む」というところだ。特に、言葉より文字でコミュニケーションを取ることが増えた今、これは絶対に押さえておかなければいけない。
読んで字の如く「書いてある文字を一言一句間違えずに読む」という事だが、これが出来ない人が驚くほど多い。小学生の頃の国語の授業や宿題で、何度も音読をさせられた経験が無いだろうか。僕は幼少期から割とスラスラと読めていたが、周りにはスラスラと読める人が意外と少なかったように思う。子供だから、と思っていたが、大人になってもその割合はあまり変わっていないように感じる。
文章を音読するにあたって、体に起きていることを大まかに三つに分けると、
①文字を目で見る。
②脳で処理する。
③口に出す。
という流れが起きていると思うが、よく噛んでしまう人や滑舌の悪い人は、②か③が上手くいっていない。今回はそれは置いておいて、淀みなく音読が出来ない人は、①か②でエラーが起きてしまっている。
①そもそも文字が目で追えていない。
②文字は視界に捉えてはいるが、脳が処理し切れていない。
コミュニケーションを取る上ではどちらだとしても大問題で、絶対に治しておかなければならない。
これを治しておかないと、相手が伝えたい事を理解するのに、インプットの段階で躓いてしまう。つまり、意思疎通の間に誤解が生まれてしまう。更に、これを他の誰かに伝えようとしても、伝言ゲームの要領で最終的には全く違った形で伝わってしまう。正しくインプット出来ていないものを、正しくアウトプット出来るわけがない。
支障をきたすのはコミュニケーションだけでなく、例えば何かの情報を文字でインプットしようとしても、正しく情報を取り入れる事が出来ない。勉強の要領の悪い人は、現代文が苦手ではなかっただろうか。行間を読む云々の前に、文字を正しく読めないからである。
こういう人は小説なども読むのが苦手で、苦手意識から読もうとしない。読まないからいつまで経っても文字を読めない、この悪循環である。
僕が幼少期に読書していた時は、正しく物語を理解したくて、誰に言われるでもなく辞書を傍らに置きながら読んでいた。分からない漢字や言葉は飛ばしながらニュアンスで読んでいた、という人はいないだろうか。コミュニケーションにおいて、その勝手なニュアンスというのは大きな誤解を生む危険性がある。
対人のコミュニケーションともなれば、ここにその場の流れ、空気やユーモア、性格など様々な要素が乗っかってくるし、リアルタイムなやり取りだからテンポも速い。正しく文字を読めない人は、この段階に進む前に躓いてしまっている。
スマホの普及により、誰でも手軽に生配信などが出来るようになった今、視聴者とのコミュニケーションは文字によって行われる。視聴者のコメントを正しく読めない人は、いずれ、「この人にコメントしても正しく伝わらないし、わざわざ訂正するのも面倒臭い。」と呆れられてしまうかもしれない。
決して難しい言葉や、美しい日本語を理解しろ、と言っているのではない。せめて、無駄な誤解の生まれないぐらいの読解力は身につけてほしい。