わたしを生かしてくれているものたち
初めまして。
このnoteでは、わたしにとってこれまで
血肉になり、ふみしめる大地や温めてくれる光になってきたものを上げていきたいなと思っています。とても個人的なもの。本とか、昔なでた猫だとか、そういうようなことです。
続けていくうちに、今は忘れている、そういう存在のことも思い出すかもしれない。
同じ本を読んだ人が、自分にとって印象的だったシーンを思い浮かべるかもしれない。
そういうのっていいな。
ともかく始めてみます。今のわたしには、ささやかでも何かを始めてみることが必要だから。
はじめにどんぐりの木のことを。
わたしが10歳くらいまでを過ごした場所に生えていた、大きなどんぐりの木。
一棟ごとに草っぱらというか、共有の庭のような場所が付いたスタイルの団地で
わたしの住む棟のそこには、がっしりとした幹に、低い位置に太く緩やかな曲線を描いて上に伸びる枝をつけた
たいそう立派などんぐりの木がありました。
いつからそこに植ったのか、多分その団地と同じくらいたくさんの年月を重ねて
毎年大きくてツヤツヤのどんぐりをどっさりつけ、冬の寒い時期もじっとそこにいた。
土の香りの中、登ってそのしっかりとした枝の上に立ったり
意味もなく、本当にただただきれい!素敵!という止めようのない衝動で
日が暮れるまで袋いっぱいにどんぐりを集めてふがふが喜んだり。
新しく高層マンションを建てる計画が進み、ある日すっぱりと根っこだけの切り株になっていたのを
信じられないような気持ちで眺めた。
大人とされる歳になって、木には登らなくなって久しい。
どんぐりはきれいなのが落ちてると、今もふがふがして少し拾う。
子どもの頃に、ああして木に登り、木陰でどんぐりを拾い、葉の模様の不思議さにポーと過ごす時間を与えられたのは幸せでした。
その分失う悲しみや衝撃は大きかったけど、自分と馴染んだ木のあったことは
親しい温かな存在として、幾星霜も、じんわりとわたしに栄養を送ってくれたような氣がします。
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