新人ドッター時代の思い出「どらごんEGG!」
時はシュビ3開発の真っ最中
1991年春。高校卒業後、ウインズ契約社員の新人ドッターとしてメサイヤに出向してシュビビンマン3のデモシーンのドット絵を打ったり、上司指示の元でキャラデザメカデザをやったりしてました。
※シュビ3開発の頃の話はnoteにまとめています。
ヘルプ仕事だった「どらごんEGG!」
そんなシュビ3のドット作業に慣れてきた辺りで、シュビ3絵描きチーム(ウインズからメサイヤ出向組)が PCエンジンHuカードゲーム「どらごんEGG!」開発のヘルプをすることになりました。
このゲームもシュビ3と同じくメサイヤ製のゲームです。
ゲーム本編にあたるアクション部分はほぼできていたので、オープニングデモにあたるビジュアルシーンをシュビ3絵描きチームで担当することになりました。
私がビジュアルシーンの原画を描き、それをスキャンしてシュビ3絵描きチームのみんなで手分けしてドットで仕上げていく…いう流れです。
シュビ3ではアニメ会社のAICさんがデモ用原画を描き、それをゲーム解像度でスキャン(今からでは想像できないくらいガビガビしてて粗い)、現場でゴミ取り&ドット絵として整えていく…という作業をしていたのですが、今回は急ぎなのもあり
「ありが、おまえがデモの原画を描け」
と上司である斎藤から仕事を振られた流れだったかと思います。(描くのが早かったから?)
この時、ゲームのストーリーと設定を教えられ、エディター上でキャラ達を そして実装されてる所までのゲームを見せてもらい、オープニングデモのコンセプトとテキストを受け取ります。このテキストに合わせて流れる絵を構成していきます。
デモで語る部分としては滅ぼされた竜と竜使いの話、その竜使いの末裔である主人公と最後の竜の卵から物語がはじまります。
ゲーム内でのオープニングデモ(ドット絵)
オープニングデモはテキストの流れにそって合計10枚。
アングル(部屋の上からのカメラやおじいさんのアオリ)とか演出上(ゴーグルに映る顔等)の描き方のクセがなんというか…この頃から今もあまり変わってない気がしてきました…でも当時、必死にがんばったんですよ!
ってゆーか上司や同期のドットが上手かったので多少絵の構成が粗くても救われてる部分が多いなーと久しぶりに見直してると思います。
マント姿のラスボス(カオス)の配色やマスクデザインがゲーム本編と違いますが、たぶんデモを描いた後も本編の方は開発最後までドットを調整しているのではないかと想像しています。デモのラスボスよりもゲーム本編のラスボスの方が顔の視認性が良いんですよね。
覚えているのは開発中かなりドタバタしてたので、本編開発とデモ絵チームは別の場所で平行して作ってたという記憶です。
なので本編とデモのデザインのすり合わせが最後までしきれてないのが少し残念かなあ…とたまに思い出します。
(まあゲーム仕事なんてそういうのの連続なんですよ)
キャラデザは私じゃないです。
以前どこかで「どらごんEGG!のキャラデザは新人時代の有賀」(昔の表記)という記述を見たのですが、私はキャラデザではありません。
エンディングを観たらちゃんとキャラデザの方がクレジットされており、私はデモ原画とデモドット数枚を担当している単なるいちグラフィッカーです。
今回このnoteを書くにあたり間違いがないように気を付けたつもりですが、なんにせよ30年以上前のことなので思い込みや思い違いもあるかもしれません。
当時を知る人で「ありが、これは違うよ」というのがあればコメントとかでご指摘いただければ嬉しいです。
はじめて商業ゲームのスタッフロールに名前が載った!
なんにせよシュビ3開発の合間に入ったこのお仕事、世に出たのは「どらごんEGG!」の方が先だったのではじめて商業ゲームのエンディングクレジットされたのはこのゲームでした。
そんな感じでバタバタっと「どらごんEGG!」のお手伝いが終わり再びシュビ3開発狂騒曲に戻るわけですが、とにかく「絵とは?」「ドットとは?」「ゲームとは?」「この生活を送りながら本当に漫画も描けるのか?」等々いろんなことを考えまくる日々で、生活ほぼすべてを絵とゲームに捧げてた…というと大げさなのですが、この頃に自宅からメサイヤまでの通勤時間がかかりすぎるのが時間的に勿体なくて一人暮らしをはじめています。
とにかく新しい経験と仕事にのめり込んでいき、このことが高校までの友人知人たちとかなり距離が空き疎遠になっていった要因となります。
若さとバカさと
この頃プライベートでちょっといい感じだった女子もいたのですが、やっぱり中々会えないという物理的な面も含めて感情的にもどうしようもない距離ができてしまいました。共有したいと思っていたことが共有できないし、行きたい方向も見てる景色も違うのがわかる。
そして自分も若くてバカだったのでうまくフォローできず、そんな日々を送っているうちに結局ダメになりました。
いい子だったのでどこかで幸せになってて欲しい。
ひとりの若者が東京の片隅で「どうする?どうすればいい?」と、のたうち回ってもがいてても時間は関係なく進んでいったのです。
おわり。
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