父が危篤から息を吹き返した「奇跡のラザーニャ」物語/2020年4月執筆
※2020年4月に執筆したブログ記事を転載しています。
父が亡くなって3ヶ月が過ぎた。
コロナの外出自粛要請で毎日がドタバタ。
二人の男子兄弟とほぼ自宅でずっと一緒な日々は、正直あまりゆっくり悲しみにも思い出にも浸れる時間はない。
そのおかげで寂しい想いもしなくて済むわけだから、家族とは改めて有難い存在だと実感する。
私たち夫婦のレストラン、カーサベッラもコロナ影響で3月よりキャンセルが相次ぎ、窮地に立たされている。
なんとか融資の資金繰りを経て、この緊急時に少しでも皆さんのお役に立てたらと、テイクアウトを強化しはじめている。
【究極のカルボナーラ】が代名詞のような私たちのレストランだが、カルボナーラほどテイクアウトが非現実的な料理はない。そこで何が最も皆さんのご自宅で美味しく召し上がっていただけるか考え、出た結論は【特製ラザーニャ】。
これまでもひっそりとお持ち帰りができることをメニューの中などでお知らせし、常連のお客様から不動の人気を誇るシェフの自信作。これを皆さんに食してもらえたら、少しはリラックスしたり元気を出してもらったりできるのではないか。
それには確信もあった。
なぜなら、このラザーニャはただのラザニアではないからだ。
さかのぼること、去年の暮れ。
12月17日に膀胱癌で再入院した父が、
危篤になり翌18日に主治医から呼び出しを受けた。
血の気がなく個室のベッドに横たわった父。もう意識もほとんどなく喋る気力もない変わり果てた父親の姿に対面し、涙がこみあげたあの恐怖が今も鮮明に蘇る。
「もう手の施しようがありません。いつどうなってもおかしくない状況です。」
冷静に放たれた言葉が何度も頭をリフレインする。
父親とここ数年ほとんど会ってもなく、口をきいてもいなかった事実は後悔しても仕切れない。まさかこんな形で再会することになるなんて。
改めて主治医の口から知らされる病状の経過と現実に、涙は止まらない。一人でどれほど苦しみ、悲しみ、孤独だったろう。胸が引き裂かれる想いだった。
その夜は父の晩年のパートナーの方が病院に泊まり込み付き添ってくださることとなり、少しばかり安堵して2人の子供の保育園のお迎えに急いだ。
こんな時だって無情にも日常は回っている。
翌日19日も朝から病院へ。「お会いしたい方がいれば早めにいらしてください」との主治医の言葉に気が動転し、山手線の方向を間違える自分。冷静になりたくてもなかなかなれない自分がいた。
ほとんど何も食べることはできないとわかっていたけれど、シェフである夫の作ったラザーニャをわらをも掴む思いで少し持参した。
病院へ着くと昨日より少しだけ血の気が戻った父が横たわっていた。意識はほとんどなく、時々ほんの一瞬会話のようなものができる。すぐに眠りにいざなわれてしまい、これが癌の急速な進行を何より表す姿だと目の前に突きつけられる。
妹も到着し、パートナーの方と3人で少し談笑していると、父も楽しそうな声につられてか、意識が一瞬戻る。その隙に「てっちゃんのラザニア持ってきたよ。食べる?」そう聞いてみた。
かすかに頷く父。
水分を少し口にしたあと、温めたラザニアの香りが食欲をそそったのか、最期くらい美味しいものをと本能が求めたのか、信じがたいことに父がラザニアを食べたのだ。
1口、2口、3口、、、確か5口ほど。
もう自分では食べることができなかったので、私がスプーンですくって口に運んであげた。
それから味を確かめるように頷き、「美味しい」と小さな声でつぶやいたことが嬉し過ぎて、状況を夫に電話で即座に伝えた。
夫も涙を堪えながら喜んでくれていた。
これは、私たちにとって信じがたい奇跡だった。
その後、父はあの危篤の状況からは絶対にありえないほどの回復を束の間見せてくれた。自分で再びスプーンが持てるようになり、車椅子にも乗って病院内を少し散歩できるまでになった。立ち上がる練習もした。リハビリ病院への転院も考えて準備するほど光は一瞬差し込んだ。
まさにクリスマスからお正月にかけて起きた奇跡だった。あの日ラザニアを口にした瞬間から、細胞が少し目覚めたのかもしれない。もうちょっと生きてやろうと思い直してくれたのかもしれない。
とにかく私の人生において信じがたく忘れがたく何にも変えられない宝物のような時間であったことは間違いない。
私は【奇跡のラザーニャ】と、
このラザニアを命名した。
父は入院後なんども私に病院食の不味さを酷さをこぼしていた。実際に見てもそのビジュアルから香りから酷く不味そうで、健常者でも手にとって食べたいと思うものではなかった。
運んでくる看護師さんですら食べたいと思わないと言っていた。そんな料理とも言えないただの栄養だけを考えた食べ物の塊の皿を、病人が食べたいと思うわけがない。
結局人にとって最も大事なのは生きる糧となる食事であり、それは単に栄養を口にするということではなく、味覚による思い出や誰かが愛情もって作ってくれた想いや、一緒に食べる人との会話を体に記憶させることで、細胞を喜ばせることでなくてはいけない。
父の死をもって私は新たな課題をもらった。あの日から思わずにいられない。日本の病院食を変えたい。そう使命感に似た何かを私は背負った気がする。
レストランを営む者として、少しでも医療の現場に関わり現実を変える動きをこれから少しずつしていきたい。
きっとコロナで苦しむ患者さん医療関係の方々を元気付けるのも、食でしかないと私は密かに確信している。
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【奇跡のラザーニャ】はお陰さまで、多くのお客様にご好評いただき、連日ご注文が後を経ちません。心より感謝申し上げます。
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