ダウン・サイズ

 楽園ができても苦から逃れられない

 人間を小さくする技術ができ、他の細胞も小さくして、小さな人間の町を作る。消費エネルギーが減るから、コストも減り、ちょっとした貯えがあれば、小さい町で一生遊んで暮らせる。

 最初は、そんな新しい技術に身を委ねても大丈夫かと、コロナワクチンが出始めた時のような、不安と期待が入り混じる。時と共に、小さくなった人と大きいままの人の間に心理的な隔絶が生じる。これは東日本大震災の時の、家を失った人と津波に遭わなかった人の隔絶を思わせた。

 医学療法士の主人公は、医者になれなくて裕福でないことが、妻への負い目に感じていて、小さくなることを決意する。そしたら、小さくなったところで、妻が小さくなるのをやめたと聞かされる。

小さい町では物質的には快適な暮らしだが、精神は満たされない。そんな時、ベトナムから来た女性を知る。この女は、清掃業をしていた。みんなが豊かに暮らせる町かと思っていたら、巨大な壁の外に小さい貧民街があった。

 夢の町は、まさに夢だ。北朝鮮もかつては夢の国だと思われていたという。人が運営する限り、理論通りにことは運ばない。

 そもそも人は、物質的に満たされると、さらに欲望がふくらむだけだ。今の日本など、これまでの歴史を思えばもう極楽のようだ。なんのお経だったか忘れたが、浄土の描写で、高い建物があってとか、いろんなすばらしい環境が描かれているのを読んで、それがもう現実のものになっていて、怖くなった。今の先進国は浄土のようでありながら、住んでいる人間はそこを浄土とは思えない。

作品中で、女がダイヤのたくさんついたネックレスを安く買ったと自慢げに見せるシーンがあるが、周りの人も同じようなものを持てるのだから、不満に陥るのは時間の問題だ。自慢するためのモノなど、なんら満足のたしにはならない。

 ダウンサイジングは、地球環境への負荷に対して有効ではあるが、幸せとは直結しない。科学の力で人間の幸せを生み出すことはできないと、この作品は教えてくれた。物質的に豊かになったのに、心は貧しい、と言われて久しい。自分に満足することがなければ、どこへ行こうが、どんなものを得ようが、幸せにはなれない。

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