エヴェレスト 神々の山嶺
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生とか死とかを超越した極限の世界
8000メートルを超えたところは、動物も植物もなく、生命が感じられない空間だと聞いた。その感じは、実際に行かなきゃ分からないとは百も承知だが、どうしたって行ける体力のない身に、この映像で幾分かは分かる気がした。
先日も、登山家とカメラマンが死んだというニュースがあった。この映画を見てて、こんなところに行ったら、いつ死んでもおかしくないと思えた。それでも行きたいのは、それほど困難だからこそだと、そこは理解できる。人間のやることだから。でも、8000メートルの生命感のなさは、異国とか異文化とか、そんなレベルではなく、もっと根源的なところの違いだから、想像を超えている。そんなところに体一つで行くのだから、ちょっと信じられない。でも、行かないと感じられないことだから、行って体験してみたいとは思う。
主人公は山岳カメラマン。ネパールの町で、行方知れずになった伝説的な日本人登山家を見かけ、その写真を撮ってひと山あてようと目論む。伝説的登山家はいつも挑戦的で、未踏ルートにこだわるから、その登山にはたいへんな危険が伴う。パートナーが死に、元恋人が行くなと言っても聞かず、誰も挑もうとしないルートを登ろうとしていた。
カメラマンは写真集を出すため、登山家の危険ルートに同行する。そして途中で力尽き、一人下山する。カメラマンは登頂することに取りつかれ、一人で同じルートに挑む。すると途中に、伝説的登山家が、座ったままの姿で凍っていた。
8000メートル峰全14座を踏破した竹内さんは、とにかく早く降りたかったと話された。生きて帰って初めて登頂成功だと。この映画を見てて、そりゃそうだろうと思えた。知らないから、せっかく登ったんだったら、山頂からの景色を楽しんだりはしないのかと、途方もなく見当違いのことを聞いたりもした。誰もがしたい質問ではあろうが、当事者からしたら、全然分かってないとあきれ果ててしまったことだろう。
ネパールの町とか、食事とか、山に登る前に神様に祈る儀式とか、そんな言葉では伝わりにくいことも、この映画で勉強になった。当たり前のことだけど、映像の情報量はやっぱりすごい。
作中で、神に最も近い場所、というナレーションがあったが、竹内さんが話されたように、生命感のないところに神はいない、という方が本当のような気がする。
宇宙飛行士が帰還してから急に信仰深くなった、という話を聞いたことがある。月世界もおそらく生命感のない空間だろうが、何が違うのだろう。天空から地球を見下ろすからか、それとも自分の足で行かないからか。エヴェレストにも月にも行けない者には、とうてい判断できないが、極限の空間で真逆の感想が生じるというのは興味深い。
宇宙には、空気のある宇宙船に乗って行き、船外には宇宙服に包まれて出る。身を軽くするため、鉛筆を半分に切ってまで荷物を減らす登山家とは、置かれた状況が違う。まだ宇宙の方が想像しやすい気がする。
もしかしたら、日本人は仏教になじんでいて、アメリカ人は神が世界を作った一神教だからかもしれない。山の数え方が1座2座というのは、神仏が座しているところからきているそうで、山に登ることを制覇するととらえる西洋人とは対照的だ。山に対する畏敬の念が、そもそもあるのとないのとで、そこに神がいるかどうか、違う思いが生じても不思議はない。
生命感が感じられず、こんなところに神も仏もいるわけないと思える世界であっても、そんな世界を神が作ったと、考えようとすれば考えられる。極限の世界にいて、そこでは何も考えられなくても、降りて人心地着けば、あの無機物しかない空間を神が作り給うたと考えられるだろう。
8000メートルは飛行機が飛ぶ高度。空気が薄く、足を一歩出しては呼吸する、という登り方なんだそうだ。自分の足を一歩進めるだけで、たいへんな労力。そんな状況だから、普通では味わえない感覚を体験でき、日常ではない考えもせざるを得ない。
神や仏は、生命感のある世界で、人間が生み出したものだという竹内さんの考えは、並みの宗教学者には検証しようもないことで、宗教素人の考えだと切って捨てるわけにはいかないものと思える。