二代目はクリスチャン
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やくざの息子が、親の死に伴い二代目を継ぐことになるが、心は教会のシスターにに持っていかれている。そこにライバルの組長が付け入ろうとし、シスターには神戸署の刑事も思いを寄せている。息子はシスターと結婚するが、敵対する組員に銃殺され、シスターが二代目を襲名することになる。教会に捨てられ育てられたシスターは、実はやくざの子で、教会で育てているみなしごたちを敵組に攻撃されて、刀を持って殴り込みに行く。
やくざの葬式をキリスト教でやることに、組員たちも違和感を口にする。刑事は、天台宗の寺の息子という設定。天台宗総本山の比叡山延暦寺は、だいぶ前、やくざの葬式をやって、たいへんな批判を浴びた。やくざのような伝統を重んじる日本人が、キリスト教の信者になるという違和感が笑いを誘う設定だ。
刑事は、寺の檀家総代のぶさいくな娘を嫁にもらうことになる。美人を嫁にもらいたいという刑事の発想も昔風だし、見てくれに惹かれるのを良しとせず、寺を守るために総代の娘を嫁にしようとする、住職夫婦の考え方も今の人が納得できるものではない。
角川映画は、宣伝がうまくて、芸能人が番組中でおもしろかったなどと言うのを聞いて、劇場に行って残念な思いを何度もした。この映画も、途中でやめようかと何度か思ったが、終盤の蟹江恵三の独白が一気に作品を引き締めた。やくざになるしかない育ち方をした過去を、すごい迫力で語った。この語りによって、ラストの乱闘シーンまで見ることができた。
シスターは、結婚したばかりの夫を殺され、神に祈る。聖書の一節をひいて説教するシスターに、組の重鎮の蟹江恵三は、キリストさんが何してくれまんねん、と問う。生まれてこのかた、誰かを信じることができないままやくざになった蟹江にとって、僧尼のきれいごとは、最後のワラだったが、つかんだらやっぱり沈んでしまった。
キリスト教に従い生きていこうとしたシスターも蟹江も、最後は復讐を優先し殺しをしてしまう。仏教では、まず毒矢を抜けと教える。毒を抜くのが最優先で、矢を射ったのは誰か、毒の成分は何かなどは二の次だと教えている。とにかく、人の命が失われないことを最優先する教えだ。確かに、この作品の状況に身を置かれれば、たいがいの人は敵を殺して自分も死ぬ、ときっと思う。その狂気が、現実のやくざの抗争では実際に見られないが、世界の紛争では目にすることができる。とにかくどんな義があったたとしても、人を殺さないでいた方が幸せだ。