人生劇場 飛車角

筋を通すと、敵を利することになる

 主人公のやくざ者は、将来を誓った女がいたが、刑務所に入っている間に案の定、別の男と一緒になってしまう。その男が、やくざ者の弟分だったから、複雑な心と状況になってしまう。

 ほとんど音楽がなく、映像だけで最後まで見せてしまう。特に年寄りの親分の、月形龍之介の目が凄い。凄いという語の本義はこういう怖さだと感じさせる。

 主人公のやくざ者が、何かというと、男になる、とか、男として、とか言う。そして損な役回りをする。

かっこいいけど、その結果、得をするのは敵だ。筋を通そうとすると、当然このやくざ者のやり方になる。金のためなら手段を選ばない他の奴らより、よほど感情移入してしまう。

けど、それで、このやくざ者はただ消えていくだけだ。死んでしばらくは、立派な男がいたと語り草になるかもしれないが、そんな噂も七十五日だ。人の口など気にしない悪い奴らは、面倒なのが自滅してよかったとほくそ笑むことだろう。

 この映画が公開されたのが1963年。高度成長期で、人を出し抜くことが平然と行われていた時代だ。藤子Aの漫画でも、卑怯な同僚がたくさん出てくる。そんな社会だから、今よりもっと、卑怯なことはしない、というこの主人公たちの生き方が輝いて見えただろう。

ただ、その理想を現実にしてしまうと、敵を利することになるだけだということは、頭の隅に置いておかねばならない。卑怯な奴が一人なら、周りから浮いて卑怯な奴が非難されるが、卑怯な奴が多数派だと、真っ正直に生きる奴は、ただ馬鹿と言われて終わることになる。最悪な環境だが、そんな集団があることは間違いない。

 そもそもの発端は、やくざ者が自首したことにある。卑怯なことをしない者として当然の行為だが、自首したから女はほかの男になびいて、それで弟分まで不幸にしてしまった。やくざ者、女、弟分と、不幸な人間が増えてしまった。それで敵が、いくらかでも罪悪感に包まれるようなら、筋を通した甲斐があるが、そうはならない。悲しいけど、真っ正直に生きることが、自己満足にしかなっていない。

結果は、筋を通したというより、情に流されたということになる。やった当人は真っ当なことをしているつもりでも、傍から讃える者は少なかろう。勝てば官軍というように、生き残った者が、滅んだ者をどんなに言うかは、たいてい想像がつく。それだけに、潔い生き方は、必ずしも褒められたものではない。

 筋を通したくなるのが人情だが、そこで一歩身を引いて、自分を俯瞰して、痴に陥ってないか省みるべきだ。とはいえ、これがなかなかできるものではない。自分が筋を通すことで、油揚げを拾うトンビがいないかどうか、ちょっと周りを見回してみるだけの余裕を、歯を食いしばってでも持ちたいものだ。

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