それでも恋するバルセロナ
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女2人がバルセロナに旅行に行く。親友だが、1人は婚約者がいて、1人は性に奔放。出会った芸術家と関係を持ち、それに反対していた婚約者のいる女も関係を持つ。婚約者のいる女がアメリカに返る前日、芸術家に誘われ、いよいよことに及ぼうとしたところに元妻が来て、女は無事に帰国する。
よく、しない後悔より、して後悔、と言うが、本当にそうだろうか。しなかった後悔は、やっとけばいい経験ができたかもしれないという後悔。してからの後悔は、しくじったことの後悔。すなわち、しなかった後悔はプラスがなかった、した後悔はマイナスになった、ということだ。プラスがなかったゼロと、明らかなマイナス。どっちがいいかといえば、マイナスよりゼロということになる。
この映画の主人公は、婚約者のいる女。奔放な女が好きに楽しむのに比して、この女には自制心がある。それを周りの人が、芸術家への愛という本当の心に従わないと後悔する、などとそそのかす。一時の雰囲気に流されて動くと、一生後悔するようなことになりかねない。この女は、芸術家との恋に走りそうになったが、たまたま元妻が乗り込んできて救われた。本当に救われたのかどうかは分からないけど、婚約者に愛されているのだから、次々と女に声をかける芸術家と一緒にいるより、よほど平穏に暮らせるはずだ。
むろん、平穏に暮らしたくない人だっている。この作品では、芸術家も、その妻も、奔放な女も、激しく生きることを望んでいるのだろう。いろんな人と関係を持ち、性を楽しみ、それで喧嘩になるが、自覚してのことかどうかはともかく、いさかいさえも人生の刺激として楽しんでいるのかもしれない。笑顔でいられることだけが、楽しみというわけではない。
無事、という言葉は、何もない退屈なこととも、災難がなくて幸せなこととしても使われる。バブルの時は、失敗を恐れずに派手な仕事をしようとする人がもてはやされた。大震災の後は、何事もないことのありがたさが分かったという話をたびたび聞いた。どっちがいいのか、人の性格によっても違う
し、同じ人でもその時々によって考えは変わる。いい悪いは、後で振り返った時にしか分からない。結局、その時の状況で、なるようにしかならない。人間にできることは、その時その時を存分に生きて、いい悪いの判断を離れるよう努めることなのかもしれない。