「誰が言ったか?」ではなく、「何を言ったか?」それを見れる人でありたい。
こんばんは。今日もおつかれ様です。
ついこの間のことです。暇つぶしにと、Twitterを見てると、とある有名な方に「噛みつくようなツイート」をしているのが目に止まってしまいました。
自分のエネルギーと時間を使ってまで、「そんな噛みつくことなくない?」と、思ってしまう内容だったので、暇だったわたしは「どんな人なのだろうか?」とばかりに、その人のアカウントに飛んでみたんですね。
案の定、フォロワーもほぼいない、匿名アカウントでした。でも、その人のとあるツイートに「ハッ」とさせられたのですね。
それが、
SNSをみるだけは「浪費」、発信したら「投資」
でした。上手ですよね!
というより、「本質をついているなぁ」と思ってしまいました。
意識していないと、エンドレスに流れてくるSNSの情報を、時間潰しとばかりに、何となく見てしまいがちです。でも、見るだけでなくて、何かしら発信して、その時のことを残しておくだけでも、今後どんな可能性に繋がるかわからない一面も持ち合わせています。
なので、自分の今のSNSの使い方が「浪費なのか?」と「投資なのか?」という視点で振り返って見ていくと、非常にわかりやすいな~と感じたツイートでした。
今の風潮だと、やはりフォロワーが多い方の「影響力」が大きいですよね。
それだけの影響力が出るほどのフォロワー数を獲得するって、ものすごい努力の積み重ねがあってのこと。なので、それもやはり判断する基準にあって良いことだとは思います。
でもどこか、「この人が言ったから、これは正しい」「この人が言ったから、これを信じる」という風潮が強くなりすぎているとも思います。
裏を返すと、「それ以外の人」から発信される言葉が、この世では無視されているように感じるのです。
もっともっとフラットに、「誰が言ったか?」ではなく、「何を言ったか?」そこをフォーカスして見れると、巡り巡って、今の時代を生きる「生き方」も楽になると思うのです。
「何を言ったか?」にフォーカスするには、やはり自分で考える力が必要です。自分が実際に行動して見てる世界が広がるほど、キャッチして理解できる言葉も増えると感じます。
人間、小さなことでも誰かと共感できることがあると、純粋に嬉しいものです。全部は、共感できなくても、「この部分はわかる!」「私もそう!」と、思える数が日々を豊かにするものでもあるのではないでしょうか。
その数を増やすにも、「誰が言ったか?」ではなく、「何を言ったか?」それを見れる人でありたいです。
それが例え誰かの「アンチ」や「自分の嫌いな人」だったとしても、そこは自分の中のフィルターを一旦外して、まず「何を言ったか?」だけを理解してみようと思います。