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有明見聞録

※これは有明海を私の浅い経験だけで語る短編集です。




1.はじめに

「海が来る。早く船に帰ろう。」
潮が満ちてきた。遥か遠くに見えていた海岸線は気付けばすぐそこまで迫っていて、数分の内に歩いていた地面は海に沈んだ。

海は人が歩くより少し遅いくらいの速さで進む。しかし、きっと沖まで歩いてきていたのなら、追いつかれ、追い抜かれてしまうだろう。岸近くの泥地帯を歩いて渡るのは至難の業だ。

だから、沖の干潟へ行くために船を使う。沖で錨を下ろし、しばらく待つと潮が引き、船は干潟の真ん中に取り残された。4、5mあった水深が嘘のように、平坦な干潟が現れるのだ。

何もかもが想像を超える。それが有明海だ。


2.泥の海と奇妙な生き物達

広大な干潟。
一見、どこまでも同じような環境に見えるが、砂や泥の割合や水の流れの有無、僅かな違いで様々な表情を見せる。そして、僅かな違いに応じて生き物達は住み分けている。

だから干潟の違いを見極めることが、干潟の住人に出会う最も最良な方法だ。

例えばこの写真も、右と左で大きく環境が違う。右は砂質で左は泥質。右側では沢山いるアサリは左側にはほとんどいない。それくらい違うのだ。




そして、潮が満ちれば一面海に沈む。

これはほとんど同じ場所。

僅かな環境の違いで出会える生き物は変わるが、僅かな時間の違いでも生き物達は変わってくる。






例えばムツゴロウもそうだ。
干潮時の泥干潟は彼らの時間だ。晴れた暖かい日は、泥の上を歩きながら餌を食べたり、縄張り争いをムツゴロウ同士やここらでデンゴロウと呼ばれるトビハゼやヤマトオサガニとよくやっている。

まさしく有明海を象徴する魚。

15cmを超える割と大きなムツゴロウは遠くからでも良く見える。干潟の上を無数の魚が歩く光景というのはなかなかに見応えがある。もし彼らの群生地を見つけたのなら、しばらく岸沿いに座って観察してみてはいかがだろう?

干潟の日常を眺めてみるのも面白いはずだ。

しかし、なぜ彼らの世界に人間が近づけるのかを考えてみると、興味深いものが見えてくる。

彼らは頭上の鳥は過剰に警戒するが、遠くの人間には実に無警戒だ。岸から捕まえようとする私たちより、鳥の影に怯える。彼らの群生地を鳥が横切れば皆巣へと逃げ込むのに、近くの仲間が釣り上げられたところで、意に介さずといった様子で縄張り争いや摂餌に夢中なのだ。

生き物には、それぞれの間合いがある。

天敵から逃れるための間合い。ムツゴロウで言えば、鳥の影が見えたら巣に逃げ込むという、鳥から襲われないための間合いだ。

対して岸に座る人間は、ムツゴロウからしたら間合いの外側にいる無害な存在なのだ。人間が泥干潟に飛び込めばもちろんムツゴロウは巣穴に逃げる。人の手は届かない。おそらく、ずっとそうだった。

それがある時期から変わった。
人の間合いはとても伸びた。方法次第で、人の手は岸からでも届いてしまうようになった。

方法を知ってしまえば、素人だって僅かな時間で十数匹のムツゴロウを取ることが出来る。本気でやれば、おそらく相当な数が取れるだろう。

干潟を歩く無垢な彼らを見て、私はドードーを思い出した。きっとドードーも同じだったのだろう。ムツゴロウにとっての間合いもドードーの間合いも、文明の前に対応出来ない。

果たして彼らはどんな運命を辿るのだろうか。

閑話休題。

話がそれすぎてしまったが、このムツゴロウの群生地も、数時間もすれば全く別の顔を見せる。





エツだ。
アロワナのように白く長い魚体に、ツバメコノシロのような細く伸びたヒレ、そして何とも言い難い頭、何をとっても奇妙な魚。

こんな魚が、昼間ムツゴロウがいた場所を泳いでいる。

濁った水の中には、こんな魚が泳いでいるというのだから驚かされるばかりだ。







時間と場所、最後に深さも違いが見えてくる。

エツが水中、ムツゴロウが水底(=干潟表面)だとしたら、干潟内部にもまた別の世界が広がっている。

例えばマテガイは干潟に縦穴を掘って住んでいる。




これが横の世界と組み合わされば、さらに面白い。マテガイの住む砂干潟から少し沖の方へ歩くと、チゴマテが住んでいる。マテガイの周りにはシオフキやアサリ、メカジャ(ミドリシャミセンガイ)などがいるが、このチゴマテの周りにはそういった二枚貝等は少ない。

ほんの数分歩けば良い距離に、きっとなにか違いがあるのだろう。私にはわからないが。






ところ変わって泥干潟を掘ればワラスボが出てくる。

ムツゴロウと並び有明の泥干潟を代表する魚だが、これまた面白い。ムツゴロウがいる干潟にもいるが、ムツゴロウが住まない川の中まで彼らは巣穴を掘り潜んでいる。

かと思えば、僅かに底質が違うだけで今度はワラスボではなくチワラスボが住んでいたりと、生き物の棲み分けは実に繊細なバランスで成り立っているらしい。

泥、砂、葦原、川、澪筋、満潮、干潮etc.....様々な要因、様々な組み合わせで現れる生き物達は変わってくる。


些細な違い、違和感を見つけることが、奇妙な住人達に会うための最も近道ではないだろうか。






3.かつての賑わい

今では多くのものが失われたと聞く。
矢部川河口に残るアゲマキの死殻はその象徴にも思える。

かつて有明海は“豊饒の海”や“宝の海”と呼ばれていた。当時の有明海は無尽蔵に思えるほど豊かな水産資源を供給していた。要は海の幸だ。

足の踏み場もないほどにアサリやサルボウ(缶詰に使われる小型の赤貝)がいて、沖に出れば海底には取り切れないほどのタイラギがいた。

先にも書いたように有明海の潮干狩りは船で出るのだが、アサリの重みで船が浮かず、急いでアサリを捨てたがそれでも間に合わず沈没し、他の船に助けられた、なんて話も聞く。

筑後川のシジミ漁も、1回で当時のサラリーマンの日給の2~3倍の収入になった。だからシーズンになると会社を休んでまで漁にくる人もいた。

今となっては、干潟で一匹見つけるのも難しいタイラギだが、潜水漁師の話では、かつては海底にはタイラギがあまりにも密に群生していて集団の外側から引き抜かないと採れないほどだったという。

当時のタイラギの潜水漁師は1分間に100個程取らないと1人前とは認めてもらえなかった。

だから当時は一回の漁で20万円~40万円も稼げたそうだ。まさしく宝の海、海底には宝の山があったというわけだ。

しかし、潜水漁は危険が付きまとう。潜水士は常に潜水病や事故の危険を背負っている。そのため、水揚げ高の半分を潜水士が貰い、残りを船上作業者が山分けするのだそうだ。

貝類だけではなく魚類や甲殻類も豊富で、網を入れ、潮に流されてくる魚を待ち受けるだけの自然に任せた漁法でも十分に採れた。

当時の魚屋の写真には驚かされる。

タイラギやウミタケ、クッゾコ(シタビラメ類)、その他様々な魚介類も然る事乍ら、ハゼクチという50cmにもなるハゼが平然と並んでいるのだ。種類、量、そして大きさも。何から何まで信じられない。

それだけ海の幸、水産資源が豊富だと沿岸の産業も盛り上がる。柳川市には有明海で取れる貝類を使った缶詰工場がいくつもあったそうだ。アゲマキの缶詰は中国にまで輸出されていた。

港は多くの船で溢れ、市場には豊富な地物が並び、水産加工業が賑わう。まさしく生態系サービス(=自然の恵み)を活かした社会があったというわけだ。



しかし、それはあくまでも「あった」に過ぎない。



今となっては、その賑わいはおとぎ話のようにすら思える。



高度経済成長期から次第に有明海周辺には様々な改変が進み出した。筑後大堰や諫早潮受け堤防などの大規模公共工事、筑後川の川砂採取、水際のコンクリート化、旧炭鉱の坑道崩落に伴う海底陥没、海底へのヘドロの投棄、その他様々な要因が徐々に有明海を蝕んでいった。


環境破壊で生態系は基礎から壊れ始めた。


目に見える変化で言えば、干潟の質が変わり始める。

川砂採取や河口堰、数多くのダム等の影響で筑後川から供給される砂が途切れ干潟の更新が止まる。加えて、様々な要因で潮流は遅くなっており泥が堆積していく。これまで砂地や砂泥底だった場所まで泥地が広がるようになっていった。

砂や砂泥、微妙な違いで棲み分けていた生き物達は生息地を失うこととなった。


環境の劣化、そして生態系の崩壊、有明海異変の始まりである。


最初に消えたのはアゲマキだった。

福岡県で年100~300tも漁獲され、飢饉や財政難の際にも豊富に採れるため“お助け貝”と呼ばれていたアゲマキ。
それが1988年、佐賀県側で突如として大量斃死したのだ。1990年に入ると福岡県側にまで波及し、アゲマキは壊滅状態となる。

それ以降、福岡県レッドデータブックによれば「有明海沿岸では,現在も健常な個体群が存在せず,絶滅の危機に瀕している。」程のレベルで失われてしまった。


その後まもなく、沖のタイラギが消えた。


10年前頃にはウミタケが消える。


それでもしばらくは干潟にタイラギやサルボウがかろうじて残っていた。


2012年、大量斃死が始まる。


これを機にタイラギもサルボウもほとんど死滅してしまった。タイラギに至っては今も尚資源回復せず、漁が再開できていない。




大牟田沖には一面を埋め尽くすサルボウの死殻がある。初めてここを見つけた時は流石に目を疑った。

おそらく2012年の大量斃死の残骸だろう。かつてここは、これ程の生命で溢れていたことにも驚かされる。

決して作り話などではなく、ほんの少し前までここには「宝の海」が広がっていた。

そして、私はそれを目にすることが出来なかった。私たちより下の世代も、おそらく見ることが出来ないだろう。


それはとても残酷で、悲しいことである。






4.大河と共に生きる魚達

筑後川。
大分、熊本、佐賀、福岡にまたがる広大な面接から水を集め、有明海にそそぐ九州最大の河川。

阿蘇山由来の火山灰の微粒子が水に溶けこんでおり、有明の海水と混じり合う河口域で火山灰の微粒子が核となり周りの有機物を集め、泥色の濁りとなる。

この濁り、有機懸濁物はそのままプランクトンや貝類の餌となり、有明海の特殊な生態系の基盤となっている。






そしてこの川の何よりもの特徴はこのエツだ。
ニシンの仲間で、言ってしまえば巨大なカタクチイワシ。
普段は有明海に生息しているが、産卵のために筑後川へやってくる。

筑後川下流域ではもっとも重要な魚だ。
5月~7月の漁期になると、筑後川にはエツを狙う流し刺し網の舟が数多く浮かぶ。その季節になるとスーパーや魚屋にも並び、地域の食文化を象徴する魚だ。




唐揚げや刺身、多く手に入る地区ではつみれにして食べることもある。特にこの時期の川エツは刺身は、身に上品な甘みがあり、とても美味しい。対して海エツはあっさりしていて、こちらは唐揚げに向いている(個人の感想)。




小骨が多く骨きりしたり、刺身の様に細く切ったりして食べられるが、酢漬けにして骨を処理した寿司もある。

多様な食べ方があるということは、地域にとってどれほど身近で重要な魚を教えてくれる。




多く取れた時にはこのような干物にすることもある。これは漁協に通ってる中で初めて知った食べ方で、今ではほとんど行われていない。

なんせ、干物にするほど沢山採れなくなってしまった。




筑後大堰によって感潮域が7kmも失われた。
エツは汽水でしか産卵できない。しかも海まで流されると卵が死んでしまうため、汽水域が広くなければならない。有明海でそんな場所は筑後川しかないのだ。

産卵場が半減してしまい、尚且つ乱獲が追い打ちをかけた。

昔は沢山いたから問題なかったのかもしれないが、少なくなってしまった現在の漁獲圧は無視出来ない影響だろう。それに加えて、最近では海での漁獲も増えている。

成魚のエツは本来、川の食文化だった。対して海沿いは子エツを食用にしてきた。
近年有明海の水産資源が減り、海でも成魚のエツを漁獲するようになったが、海エツは川エツより味が劣り元々食べなかったのもあって、量は多いのに子エツと同じ値段という不思議な値段設定になっていたりもする。

ただここでも産卵期のエツを漁獲する川漁師と年中サイズ問わず獲る海漁師との対立があり、難しい問題になっている。

まさに悪循環である。かつて100~110tで推移していた漁獲量は今では20t前後まで落ち込んだ。
地域の重要な水産物であるということは、それだけ漁獲統制が難しい。大切なのは皆知っているが、それを守るために有効な手立てを打ち出せていないのは日本中の水産政策で共通の課題だ。

マグロやニホンウナギが絶滅に向かっている中、今も尚捕り続け、有効な対策が取れていないのを見ても良くわかる。




エツ漁とは違い、既に絶滅してしまった漁業もある。
これは「サヨリ網」というものだ。サヨリといっても狙うのは海のサヨリではなく川のサヨリだ。

汽水域に棲むクルメサヨリという20cm程度にしかならない小型のサヨリ。
多くの場合、わざわざ狙って小さな魚を捕ったりすることは少ない。しかし、筑後川には小ささを覆すだけの数がいたのだ。
夜、ガス灯で照らしながら小舟を出す。船尾では竿で川底を着きながら船を動かす船頭が1人、船首で網を持ったもう1人がサヨリを捕まえる。網係2人の計3人でやる場合もあるそうだ。
光によってきたサヨリを捕まえ、船内へ放り込む。するとすぐに船底が真っ白になったという。

揚げたり、1匹ずつ刺身にしたりして食べられ、お弁当のおかずとして好まれたそうだ。

そして面白いのが、この漁は坂口堰という沈水堤の周辺でのみ行われていたというところだ。筑後大堰ができる前の感潮域が広かった頃でさえ、少し上流の漁師はサヨリ網すら見たことないと言っていた。小さな地域固有の漁業、とても面白い。

漁法は潰えてしまったが、クルメサヨリ自体はまだたまに見かける。それでも福岡県レッドデータブックで絶滅危惧IA類に指定されている様に、決して多い魚ではなくなってしまった。







アリアケシラウオ

アリアケヒメシラウオ。この透明な2種類の魚は有明海でもっとも絶滅の危機に瀕する生物のひとつだ。


アリアケシラウオはトンサンイオ(殿様魚)と呼ばれ、殿様へ献上される高級魚だった(エツが殿様魚と紹介されることがあるが、これは間違い)。
とても美味しいと聞くが、残念なことに私は食べたことがない。

シラウオといえば小さな5~6cmの小さな魚を想像するが、このアリアケシラウオは15cmにもなる破格の大きさを誇る。それだけの巨大魚(シラウオとしては...)だったため、食用にも向いていて、刺身や天ぷらなどに利用されていたらしい。

対してアリアケヒメシラウオの方はあまり捕られていなかったそうだ。エツやもっと美味しいアリアケシラウオがいるのに、わざわざ小魚を捕る必要もなかったのだろう(だからこそクルメサヨリ漁は面白い!)。食べてみると独特な風味がするらしい。

しかしアリアケヒメシラウオはアリアケシラウオに負けない面白さがある。なんと、世界で筑後川と緑川にしかいない魚なのだ。筑後川と緑川の感潮域上部の数km程度の範囲でしか見ることが出来ない、ここで独自に進化した魚だ。

しかし、この2種は現在、見ることすら困難になってきた。

有明海・八代海総合調査評価委員会報告書
筑後川の砂地に産卵する2種。昔は筑後川下流域はどこも砂地で産卵する場所には困らなかったのだろうが、川砂採取やダム建設によって下流域の底質は全く変わってしまった。礫や砂ばかりだった河床は、今では泥に覆われている。

産卵場所を追われ、彼らは絶滅寸前にまで追い込まれてしまった。





これはシラウオだけではなく、シジミ漁にも影響を与えた。砂地が減れば、その分砂地に住むシジミも減る。

残った河口域の生息地を外来種のヒラタヌマコダキガイと奪い合っているようだ。
このヒラタヌマコダキガイも良い出汁が取れ美味しく食べられるのだが、知らないものへの抵抗感は拭えないようで食用には利用されない。
そのせいもあってか、シジミばかり漁獲されてるような状況なので、どうやらこちらに部があるようだ。

話が逸れてしまったが、筑後川河口域の環境の変化は様々な生き物に暗い影を落としている。




残された僅かな砂地に運命を託す2種類のシラウオ。いつまでもその姿が消えないことを願っている。

5.有明見聞録

有明見聞録。
6年間ほど見てきて、大方この海で見たかったものを見ることが出来た。

この海の魅力は、この海そのものもそうだが、ここに住む生き物の異常性と、それが失われかけていることだと思う。今この時だからこそ、現実を直視し、語らねばならない。

一目見て意味がわからない生き物、一見普通だが特異性を秘めた生き物、そもそもいなくなった生き物、様々な生き物達が織り成す生態系が素晴らしく愛おしい。

現在進行形で消されるヤベガワモチの話を、14年間誰からも見つからず細々と生き残ってきたヒメモクズガニの話を、工業排水に汚染された死の川で乱獲を免れたアゲマキの話を、かつて産業を支えたタイラギの話を、太古から生き残るシャミセンガイの話を、環境変化に合わせて増えてきたムツゴロウの話を、大河に運命を託すエツ、アリアケシラウオ、アリアケヒメシラウオの話を、海底に潜む巨大なウミタケの話を、沖に広がる一面のサルボウの死殻の話を、見聞きしてきた私としては、そろそろ語らなければならない。

そう思い立ち、その一端をここに記させて頂いた。

果たしてこの奇妙な有明見聞録は何処へ辿り着くのだろうか。


有明見聞録(上) 終

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