書き散らし2
読み応えのある文章
読み応えのある文章ってなんだろうか、と思った。前回のnoteを見た僕の友人から「もっと読み応えのある文章を」と言われてしまった。
個人ブログみたいな扱いができるんだから自由に記述して構わないだろうと思ってしまいつつも。
ちゃんとしたものを書いてみようかなと思う。
最近あった出来事
21時ごろから23時ごろまで寝ていた。寝ていたというか気絶していたと書くのが正しいのかもしれない。
気絶する時はすんなり寝れるのに、睡眠薬を飲んでいざ寝ようと思っても、30分いや下手したら。1時間寝れない。
次第に、寝るという行為自体に疑問を持ち始めた。
寝るとはなんなんだろう。
寝るにはどうしたらいいんだろう。
と思ってしまう。
些細なことだろうが、こういう日常にありふれて、なんの気無しに行なっていることに疑問を持ってみる。心の余裕がなくなってきた時に僕は疑問を持ち始めるが、逆に心の余裕があると言ってもいいんじゃなかろうか。とも思える。
些細なことに疑問を持てる人生最高!なんて思えはしないし、些細なことに疑問を持ってしまうからこそ、考えすぎてしまうからこそ鬱になっているんだろうなと思う。
じゃあその思考を止めればいいだろう。
そういう話ではないように思える。
僕は思考してしまう生き物だから仕方ない。
仕方ないのであれば、この体質に向き合う努力が必要になってくると思う。
些細なことを考えすぎないように意識してみる、とか。
些細なことすらも無視出来るくらい忙しい生活にしてみる、とか。
忙しさを逆に利用するのはありなのかもしれない。
忙しくて、HP切れになってしまって廃人のような目をしながら生活するのも悪くないのでは。
そうしてくると今度は、生き延びているなという感覚になってくる。
ただただ、リソースを消費して生き延びていて何も成し遂げていないという事実だけが残る。
なんだか少し寂しい気がする。
自分ってなんだか、寂しい気がする。
気力
気力がないことが最近多くなってきた。
例えば。電気をつける気力。
17時ごろになって部屋にいると段々暗くなってくる時間帯。
電気をつける気力もなく、ベッドか床に突っ伏している。
最近はベッドよりも床の方が突っ伏すのに適しているなぁと感じてきた。
ベッドはふわふわだけど、床はしっかりとしているから。
突っ伏す僕を支えてくれそうな気がする。
起き上がって身体の節々が悲鳴を上げる。
硬いところに身体をずっと当てていたのだから仕方がないとは思う。
でもなんだか、身体が休まる気はする。
夕暮れ時の、薄暗い部屋で一人。
硬い床に突っ伏して死んだように動かない。
なんだかいいかもしれない。
感覚としては充電している感じ。
今もそうだ。
執筆しているのもこの時間帯だけど、床で書いている。
床に突っ伏しながら、ふと思ったことを書いているだけ。
なんでnoteを始めたんだろうか。
ふと思った。
自分の生きた痕跡を残したいのかなともふと思ったりする。
それは本能なのではないかななんて思ったりも。
お腹が空いた。
ご飯を作らないといけない。
そんな気力はないんだけど。
気力がない。
HPがない。
なぜか気だるい。
倦怠感ではないような気がする。
これはなんなんだろう。
何かわからないものがあるって怖い。
怖いけど生きないといけない。
人間、簡単に死ねない生き物だと思うので。
気力がないけど、生きていこうと思う。
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