自分が自分を認められるようになるのが一番強いんだろうな。(日記)
あけましておめでとうございます🐯
新年早々ふさわしくない内容なのかもしれない💭🙇♀️
私にはなんとなくつっかかってしまう人がいる。
いや、面と向かってと言うわけではなく、
なんというか、心の中でモヤモヤとして
スッキリしない存在がいるのだ。
ライバルというには違うし、
別に仲が悪いわけでもない。
もっと言えば、プラスの印象を持っていたりもするのだ。
私はこの自分の中のモヤモヤとした感情が嫌で今まで何度も何度も考えてきた。
ただただ何の理由もなく対象につっかかりのある状態であるのが嫌だから。
自分の心が汚いからなのかと自己嫌悪に陥ってしまうから。
自分のためでしかないのかも知れないけれど…
考えてみると、私の中のコンプレックスの感情がすべてであるということがわかった。
考えるまでもないような、とても浅い結果に思えた。
しかし、このコンプレックスというものは本当にしぶといものであり、自分の心を確実に蝕んでいくものであると思う。
『相手は持っているのに、
どうして私には無いのだろう。』
『無いなら無いなりに頑張ってるのに、
どうして私は認めてもらえないのだろう。』
自分なりに頑張ってるという気持ちが強くなれば強くなるほどに、承認欲求は増し、
苦しくなってくる。というより、勝手に苦しくなっている、というのが正しいのかもしれない。
本当に誰も認めてくれていないのだろうか。
それを考えてみると全くそんなことはなかった。
私には私の存在を肯定してくれる人が確かに存在していた。それなのにそれが見えなくなってしまっていたのだ。
なぜか‥‥大きなコンプレックスが大切なものを見失わせていたのである。
他人と比べることで生まれるコンプレックスを埋めることはなかなか難しいかもしれない。私は人と自分を比較して生きてきたため自分を肯定することをできずにいた。
今でも肯定できていないことが多いはずである。
ですが、大切な人から、
と言われたことで、
誰かが持っているものを欲しがったり、同じことで認められようと思うのではなく、自分の良いところを見つけ、伸ばしていくことが大切だと思えるように少しはなれたのではないかと思う。
そして忘れてはいけないこととして、コンプレックスを感じていた相手もきっと大きな努力をしているということ。
その努力を認められていない自分がいるということ。
それは自分が誰からも認められていないと感じて、余裕がない状態であるためと考えられる。
そんなときは一呼吸おいて自分自身を認めてあげられる状態にすることが一番大切なのではないかと思う。がむしゃらに手当たり次第頑張ろうとするのではなく、自分のいいところをちゃんと受け入れて認めてあげること。
その上で、
相手のことも素直に認められるような心の余裕を持つことが出来るようになれば、私のコンプレックスは少しずつ溶けてなくなっていくのではないだろうかと今では思うようになった。
長々とすみません。