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花束の女王様

「今となっては武器ではなくて、有村先生が送ってくださった花束だったのかもしれないと思っています。」

コロナ禍で都市間の移動に敏感になり、面接WEB面接のみの選考の企業が増えるなど突然の変化に、多くの就職活動生が目指すところを見失っていそる。この言葉はそんな中、7月から就職活動を再スタートさせ、志望する企業から内定を得たTさんがおととい私にくれたメールの中の一文。

 彼女とは自己PRを書くための添削の時間に、彼女の特徴をその生い立ちから、祖父母と仲良く育った自分に絞って書いてみては、と、彼女の「武器」を彼女の言葉で表す手伝いをした。彼女はそこで自分の等身大の強みをきちんと言葉にし、背伸びせずに「らしく」書き、「武器」となるPR文を仕上げ、一度諦めかけた就職活動を笑顔で終えることができた。

 そして、その中で「これ以上血の通った自身の表現を人生の中ですることがあるのだろうか、というほど思いだけは詰まった文章」を書けたという自信も身につけたのだとそのメールにはあった。

 教え子からのこうした報告は嬉しいものだし、お礼の挨拶にもらったミニプレゼント、お菓子のパッケージなどはいつも捨てられず宝物になる。

 今回は「ありがとう」のその言葉より、彼女が自分にしか書けない言葉で表した感謝の気持ちの結晶が、疲れた心に何より心に響いた。文章の先生としてこれより嬉しいことはない。

 面接前にここのコラムを読んで励みにしていたというTさんは、どんな手土産より私が喜ぶものを届けてくれた。こちらこそ、花束のような素敵な言葉をありがとう。

 「ありがとう」は拙著「あっこと僕らが生きた夏」でも大きなテーマだった。つまり人生のテーマである。伝え忘れないように、心を込めて後悔しない人生を過ごす鍵は「ありがとう」と、もうひとつ「ごめんなさい」を伝えた先にあるのだろうとつくづく感じる。

 2013年公開の映画「謝罪の王様」を封切り後すぐに観に行った。宮藤官九郎脚本のコメディ映画だが、阿部サダヲさん演じる「謝罪士」を生業とする男が、どうやってその職業を始めるに至ったか、という回想シーン中の言葉に涙が溢れて止まらなくなった。

「ただほかでもないあの人に、謝って欲しいだけなのに」

(ニュアンスで覚えているので、感覚で申し訳ない)

 阿部さん演じる主人公は、謝罪を仕事にする前に、美味しいラーメン店の対応で嫌な思いをした。ラーメンはたしかに美味しかったが、自分は満足していない。なぜだろう。1.2時間他の場所で過ごして考え続け、その店に意見を伝えることにしたが、出てきたのはそのラーメン店の店長ではなく、本店の上司だった。その後もその本人が謝罪の場に現れることはなく…(ここからはよかったらご覧ください)

ごめんで済むなら警察はいらない、あなたのごめんは聞き飽きた、など日常の中で謝罪は、簡単に使いすぎると、信用を失うことに繋がる。そして、それを人生の大事な場面で言い損ねたり言われ損ねたりすると、一生の傷にもなるのだと最近思い返すことがある。

 以前男の先輩からのセクハラ(性暴力)、そして、それに伴うパワハラで会社を去り、夢を捨てざるを得ない環境に追い込まれたことがある。職場の大先輩を信じ、男性の度の過ぎた性犯罪の範囲にあるセクハラ行為をすべて、元記者で人事などを扱う部署にいた上司に事細かに説明した。二人は全てメモにとって話を聞いていた。

 聞き取りの最後、最後に彼に伝えたいことはないかと聞かれ、入院中の病院の応接用の和室で二人にこう伝えて欲しいと言った。

「貴方がもいだ羽を返してくだい。」

 元上司二人は、うん、と頷いてメモを取り、私はその言葉からどんな言葉が返ってくるか、上司を信じようとその聞き取りの時間を終えた。

 しかし次に会ったとき、その二人は「彼は貴方の発言を全て認めたため、諭旨免職にしました。居処は分かりませんが、遠くに行ったと聞いています」

とだけ言った。あの言葉にどう答えたのかと聞いても、

「会社に申し訳ないことをしたと言っています」

としか、帰ってこず、そこに自分の存在はないものとされていた。訴訟を恐れるのもわかるが、自分の勇気を出した言葉たちはどこへ行ったのだろう。そのあとは茫然と上司の口元や、畳の目をみて時間を過ごした。凄まじい疲労感に襲われた。

 そのときは気づかなかったが、ときが経つにつれ、臭いものに蓋をしただけの対応に広がるモヤモヤは大きくなっていた。そして数年後、このコメディ映画の一つのセリフで、私はあのとき、ごめんなさいを言われる権利を完全に奪われたのだと気づいた。

その後、次は、なかったことにしてほしい、と欲しい会社からの圧力を受け、夢を失った私の「謝って欲しい」切実な思いは誰にも届くことはなかった。

 一度でいい。事実を認めたなら、あの馬鹿野郎からの謝罪がほしかった。会社にも、あの酷い対応を謝ってほしかった。手紙でも、なんでも。謝罪されても許す気など全くない。彼も更生などしないだろうし、夢のある人生は帰ってこないが、やはり、ごめんなさいを言われないまま十年が過ぎ、一生晴れない気持ちを抱えたまま、今ここにいる。

 私の祖父は時に自分の非があるときでなくても私に頭を下げてくれるひとだった。家族の間で何かあって意地を張ってしまっているときには、代わりに頭を下げてくれることもある、愛のある人だった。私の尊敬する人は、決して自分の責任から逃れようと思わない。信頼関係のある人と何かあった時にまずは非がどちらにあるかを棚に上げてもまず、傷つけてすまない、とお互いに譲れ心を解せる「謝罪の王様」は非を認めることを恐れる今では貴重な存在である。

 謝罪も、感謝も、できればチャンスを逃さずにいたい。それでも無理な時は遅れてでもいい。綺麗な形でなくていい。言うべきことをきちんと言うことでやっと歯車は少しずつでも回るのだと思う。そして、いつかは渡し渡された両手に花束を抱えて、たくさんのありがとうを世の中で回していける、そんなあたたかい人になりたい。

※映画の内容に少し思い違いがあったようなので、訂正しました。また、個人の感情に鑑み削除した部分があります。あの部分を読み、感想をくださった皆様、申し訳ありません。また貴重なご意見もありがとうございます。

(2019年夏に書かれた記事です。一部2022年加筆)

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