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書きなぐり短編小説

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作業や休憩の合間にすぐ読めるようなものをまとめるための場所です。
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記事一覧

幻聴と幻覚と

いま、腕を折り曲げてしまえば、私は死ぬ。

いま、このまま穏やかな眠気に負けて寝てしまえばまた地獄が私を襲う。

もう嫌なんだ。

もう自分の体がずたぼろになっていくのは嫌なんだ。

ずっと深淵を揺蕩う深海魚のように、日の目を見ることなく生きていくべきだったんだ。

無茶して陸にあがって、無茶して人並みの生活を送ろうとしたからこうなったんだ。

それでも後悔の念は無かった。多分こうでもしていないと

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続・その右手に忠誠を誓わせてほしい

あー、最悪だ。家に帰るの遅くなっちゃうなあ。

腕時計を見ると22時を過ぎていた。

目頭を押さえながら、よろめく脚を叱咤激励させる。

よろよろと立ち上がるあたしの目の前で強面の青年がほくそ笑んだ。

予備校帰りでくたくたのあたしを襲ったのはこの青年―叔父さんだった。

叔父といっても年齢はあたしのちょっと上ぐらいだし、その実態はまだ社会にも出たことのないしがない大学院生。

親の権力無しでは何

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その右手に忠誠を誓わせてほしい

家に帰っても「おかえり」は返ってこなかった。

今日はバイトじゃないはずだし、どっか行っちゃったまま帰ってきてないんだなあなんて呑気なことを考えつつ夕食の支度をする。

彼女が好きな炊き込みご飯。彼女が好きな味噌汁。

家にいると彼女のことばかり考えてしまう。

彼女―同居人の瑞穂がうちに転がり込んでから半年が経過した。

中学生の頃抱いた東京への憧れを捨てきれず、単身で田舎を飛び出し上京してから

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夢と虚無と

ああ、気が重い。

気が重い。

体が重い。

いつにもましてひどい寝癖を整髪剤でがしがし直しながら洗面台に立ったわたしは、あまりにも見るに堪えない顔をしていた。それだけだけでいっそう気が重くなる。

そもそもは昨日の飲み会だった。サークルでの集まりで同期にひどく酔い潰され、終電間際で電車に乗り込んだまではよかった。

そこで昔の想い人に偶然再会してしまったのが悪かったんだ。向こうもこっちもほぼ同

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刺青

希望なんてものは、随分前に捨ててきてしまった。
日々を生きるのが精一杯でそれどころじゃなかったから。

夢なんてものは、随分前に捨ててきてしまった。
現実をただ直視することを強いられてきたから。

感情なんてものは、随分前に捨ててきてしまった。
感情を押し殺さなければ、ここまで生き残ることはできなかったから。

私は痛みでしか自己を認識できない。
私は痛みでしか生きているという現実を受け容れられな

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雪の日

あれは大雪に見舞われた日だった。
電車はもちろんバスやタクシー、交通機関は全部壊滅していた日、今でも鮮明に覚えている。

ローファーが泥やら雪やらで汚れていくのを尻目に、僕は試験会場へと急いだ。
晴れの日だったら単語帳やらノートやら読みながら最後の追い込みができるんだけど、とも考えた。けれどもそれ以上に僕の頭を占領していたのは緊張だった。

今日が一番肝心なんだ。と、いうのも今日は第一志望の大学の

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彼女の視線

姉は飄々とした人だ。幼少の時からよく分からない人だった。

勉強もろくに手を付けず、家にいればゲームや漫画に耽る日々を過ごしていた彼女。

しかしなぜか成績だけはとても良くて、塾に通い詰めだった私が到底手も届かなかったような大学へ軽々と合格を決めてしまった。姉はその時もさしてうれしそうな顔はせず、また翌日からふらふらと街へ足を運んでいたらしい。

そんな姉を妬ましくも思ったが、その掴みどころのない

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記憶の罅(ひび)

朝起きて真っ先に感じたものは違和感だった。

ベッド代わりに使っていたソファーがまずその違和感の対象であった。僕の記憶では長年使っているはずだから、もうふかふかではないはずだし革だって汚れていたはずだ。

それなのにとても新しいもののように感じた。まるで昨日新調したかのようにふかふかで、まるで新品そのものだった。

とりあえず体を起こしてあたりを見渡す。

次の違和感の対象は部屋全体だった。

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