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喜んだり悲しんだり
「よいと思うもの」が得られても度を越えて喜ばない。
なぜならそれは善ではないからだ。
善にも悪にもなりうるものであり、それによって不自然な衝動を抱いたとしたら、それは紛れもなく悪である。
同じように、「悪いと思うもの」と遭遇しても必要以上に悲しまない。
善の場合と同じように、それは悪ではないからだ。
善でも悪でもないものを使って美徳を発揮した。
だとすれば、それは紛れもなく善いことだ.
「よいと思うもの」が得られても度を越えて喜ばない。
なぜならそれは善ではないからだ。
善にも悪にもなりうるものであり、それによって不自然な衝動を抱いたとしたら、それは紛れもなく悪である。
同じように、「悪いと思うもの」と遭遇しても必要以上に悲しまない。
善の場合と同じように、それは悪ではないからだ。
善でも悪でもないものを使って美徳を発揮した。
だとすれば、それは紛れもなく善いことだ.