筋トレ
私は今、45歳の中年である。
遡ること30年前、私は熱狂的なプロレスファンであった。闘魂三銃士バリバリ、ブロンドアウトローズバリバリの時代である。どれくらい熱狂的だったかというと当時存在した新日本プロレス学校(校長は山本小鉄さん)に入校しようとしたくらいである。
週刊プロレスと週刊ゴングを毎週購入し、広告にあったゴールドジムのTシャツを通販で購入して着ているような奇妙な中学生であった。
当時、格闘技関係者以外の素人でゴールドジムのTシャツなんぞ着ている人はそうそうおらず、中でも中学生は私くらいではなかったか。プロレスが好きであっても当時ガリガリだったのでアルティメットウォリアーみたいな筋肉美に憧れて親に頼み込んで横浜の京急線の某駅近くにあったボディビルジムに入会させてもらい、頑張っていたものだった。当時はフィットネスなんていう用語もなく、体を鍛える人は少数だったと記憶している。ジムの名前もそのまま〇〇ボディビルジムだったか〇〇ボディビルセンターだったと記憶している。
当時、アルティメットウォリアーの筋肉美にものすごい憧れていて本当は横浜の平沼にあった現在のYSCスポーツクラブ横浜に併設していたジムに行きたかったけど明らかに力不足だと思ったのでやめた。覗いたら屈強な人たちがムンムンの雰囲気でトレーニングしていたのがチラ見出来たからだ。スイミングクラブは今でもあるけどジムはまだあるのかな。
当時はそれだけにとどまらず、親に頼んで週刊ゴングに広告が掲載されていたホームジムマシンを買ってもらいもした。どんなものかというとチェストフライとベンチプレスができる代物で負荷というとプレートではなくラバーなのである。ラバーの負荷をセットして力を入れるとラバーが伸び縮みすることで負荷がかかるものであった。
これ以外にも油圧の負荷がかかるものも販売されていて、だいたい2万円しないくらいだった記憶がある。今では全く見かけなくなってしまったが当時は一生懸命やったなぁ。。
そんな私も年齢を重ねるにつれてイキる年頃になり、興味がファッションや恋愛に向けられるようになり筋トレをすることもプロレスを見ることもほぼ無くなっていった。
ただ社会人になった頃から筋トレだけは思い立ったらジムに入会したりまたやめたりなんとなく続けはしていたのである。
そんな私が40代に入り再度ジムに入会した。中学生のころにTシャツを着ていたゴールドジムにである。入会するまでは力不足ではないか、惨めな思いはしないか、継続できるのか・・・など悩んだ末に幼い娘と一緒に見学に飛び込んだ。おっさんが娘の力を借りて勇気を出して見学に行ったのだ。
その日はいったん帰宅したのだか、思い立って翌週ゴールドジムに入会した。もちろんドキドキしちゃうので娘を強制的に連れて行った。
今後も筋トレの話題は書いていきたいと思っている。次回はゴールドジム入会のお話を書こうと思う。