見出し画像

料理はおいしくできたのだけど

祖父母の家の敷地内には、田んぼのほかに6つのビニルハウスがある。
そのうち5つが、ミニトマト専用のビニルハウスだ。

4月の終わりごろからトマトの苗植えを始めるというので、
今年はその手伝いに行ってきた。

土壌を黒いビニルシートで覆い、
空き缶を切りっぱなしにしただけの祖父特製の道具を使って、一定間隔でシートに穴をあける。
シャベルで1つ1つの穴から土を掻き出し、トマトの苗を植え、また土をかぶせる。
その前であったか後であったかは失念してしまったのだが、
石灰を含ませた自然肥料も一緒に注ぎ入れる。
それからトマトの苗1本1本に藁の支柱を添えてやり、苗とあわせてテープでゆるく固定してやる。
栽培用の専用シャワーを用いて、これまた1本1本、十分すぎるほどの水を土壌にたっぷり与えてやる。

「1つ1つの」穴、「1本1本の」苗などといちいち強調するのは、
これを800株分、丁寧にくり返すからである。

もちろんこれは一番はじめの作業にすぎない。
すべての苗に水を与え終わったら、今度は土壌の温度と気温とを一定に保たなければならない。
そのために、トマトの苗の列にそって、弓張型の支柱をわたらせてやり、
その上から人工織布をかける。
一度の100本弱蔽えるような織布は、さすがに大きく、加えて丈夫につくられているため、
女1人で運ぶにはなかなか骨が折れる。

その日私が手伝えたのはここまでだが、
収穫までの3、4か月はその都度何かしらの手をかけるという。

齢80歳をこえた祖父母がこれほどの苦労をしていることなどつゆ知らず、
毎年のように、袋いっぱいのミニトマトをもらうだけであったとは。
「いいとこどり」も極まりない。
食を支えてくださっている方々には、本当に頭が上がらない。
有難い。それに尽きる。

ところで、残り1つのビニルハウスはというと、
ここはなんでもハウスである。
その時々のニーズに応じて、うまく活用されている。
いわゆる、無目的のブランクスペースだ。

私が訪れたトマトを植えた時分には、発芽したばかりの稲苗を生長させるために利用されていた。
引き出しのように重ねられた苗床に金茶色の粒が垣間見え、すっくと青い種苗が数センチずつ立ち上がっている。
まもなく5月という頃であったけれど、この数日は肌寒い日が続いているからと苗床には毛布がかけられていた。
かつて、私の母たちが使っていたのだろう。
エンジ色の花柄模様の昔ながらの重たそうな毛布だった。

ビニルハウス内の手前側は、手をかけなくていい野菜畑だ。
種を適当にばらまけば、ビニルハウスの保温性を味方につけて、
勝手に生えて、勝手に増える。
キャベツやホウレンソウ、パクチーなどがまるで野生種のように
スーパーでは見かけないほどでかくなっていた。
面積でいえば、それぞれ半畳ほどを占めている。

パクチーは、祖父母ではなくその娘、
つまり私の伯母が種を散布したのだという。
私はパクチーが好きなのだが、祖父母はやはりこの臭いゆえに苦手なようで、
減らなくて困っていると言った。
三つ葉みたいにして食べたら?というと、
祖母はそれならいいかもしれないと今一度パクチーをひとつまみして口にふくんだ。
けれどやっぱり難しい顔をして首を傾げる。

それじゃあと私はこれ幸いとばかりに、
新聞紙に両手で抱え込むほどの量のパクチーを摘みとった。

このパクチーは、
クルミ和え、それからパクチーソースにして食べた。
クルミのすり潰したものも、ソースの味付けに使った奈良漬けも、
すべて祖母のお手製である。

有難い。有難いけれど、なんだか申し訳ない。

この「申し訳なさ」って何だろう。

おいしく食べることが最上のお礼でありお返しなのかしらと思いもしたが、何かが胸につっかえる。

もらうばかりで、私から差し出せるものは、何もない。
たとえ求められずとも、それってなんだか悲しいなと思った。

私は何を生めるのだろう。

いいなと思ったら応援しよう!