自己紹介 ニューボーンフォトへの想い
出張撮影サービスarcoです。
お客様のご自宅に伺い、ニューボーンフォトを撮影する
出張撮影のカメラマンをしています。
私は、3歳と1歳の、2歳差兄弟のお母さんでもあります。
3歳のお兄ちゃんを予定日よりも2ヶ月早く、1750gの低出生体重児で出産しました。
“早産・低出生体重児の育児経験あり
誰よりも新生児期の尊さを知る
ママフォトグラファー”
私がそう名乗っている背景を、
少しお話しさせてください。
現在3歳のお兄ちゃんは、予定日よりも2ヶ月早く1750gの低出生体重児で生まれました。
妊娠32週のある日、突然陣痛がきて、子宮口が6cm開大
心の準備ができないまま緊急帝王切開にて出産。(たまたまその時、逆子だったんです)
そして生まれたお兄ちゃんは、ただ心臓が動いているだけの
いわゆる『新生児仮死状態』でした。
あれ?帝王切開の子って生まれてすぐに泣かないのかな??
当時の私はそんなことをぼんやり思っていましたが、そんなわけはありません。
「赤ちゃん出たよ!」と言われたきり、産科の担当医からの説明はなく
ただ、手術室の端の方でお医者さんたちが必死に何かをしている雰囲気だけは感じ取ることが出来ました。
私の不安そうな顔を察したのか
枕元で全身管理をしていた麻酔科医の先生が
「赤ちゃん急にお外に出てきたからまだその事に気が付いてないみたい。今、叩き起してるからね。」
…と教えてくれ、叩き起されているまだ見ぬ我が子を想像し、少し心が和みました。
数分後、お医者様達の蘇生術によってお兄ちゃんは自力呼吸をはじめ
「ほにゃー」と、小さな産声をあげてくれた時は、
本当に本当にホッとしました。
そして目の前にやってきた
両手のひらに収まるくらいの小さな命
少しの時間の対面を終え、お兄ちゃんはすぐにNICUへ入床となり
私は産後、赤ちゃんと離れ離れの入院生活を送りました。
お兄ちゃんが退院できたのは、生後39日目。
ひとあし早く退院した私は毎日搾乳したおっぱいを持って病院に通いました。
NICU(新生児集中治療室)を卒業した赤ちゃんが次に入るGCU(新生児回復室)では、面会中の赤ちゃんのお世話は看護師さんではなくママがやります。
お兄ちゃんは生後10日目にNICUを卒業し、GCUに移りました。
授乳、おむつ交換、泣いたらあやして、
吐き戻したらお着替えして…
普通よりも小さな我が子。
慎重に扱わなければ壊れてしまいそう…
毎日緊張感があって、無我夢中で過ごしているうちに、新生児期は終わっていました。
そんな感じでGCUの面会時間中は
場所がおうちから病院に変わっただけで
他のママと同じように我が子のお世話をしていましたが
面会時間が終わって帰路につく時は
かわいい我が子を病院に残して帰る寂しさと
罪悪感でいっぱいでした。
「普通に産んであげていれば、
ずっと一緒におうちで過ごせたのにね。
寂しい思いをさせてごめんね・・・」
そうやって自分を責めることもありました。
それでも
『生きているだけで良かった』
と思う気持ちもありました。
実は…私にとって、これがはじめての出産ではありません。
この早産での出産の約1年前、1番最初の妊娠で死産を経験しています。
妊娠5ヶ月での出産。妊娠22週未満での出産なので、正確に言うと後期流産でした。
妊娠16週の時に突然、原因不明の破水。
そこから入院して10日間頑張りましたが陣痛がきてしまって出産…
産声のない出産。
137g の小さな小さな男の子でした。
お腹から出てきてくれた時はまだ心臓が動いていて
私の右の人差し指に小さな小さな鼓動を感じたことを今でも鮮明に覚えています。
でも妊娠22週未満での出産は、蘇生してもらうことすらできず
私の胸の上で静かに命を終えようとしている我が子に
「ありがとう」「忘れないからね」と伝え続けました。
突然の死産、当たり前に生まれると思っていた生命を失い
授乳もおむつ交換もしてあげられないまま
我が子をお空に還しました。
まさか我が子の骨を拾うことになるなんて、、、
辛くて辛くて辛くて毎日がどん底でした。
私のせいで、我が子を死なせてしまったんだ。
私なんて、私なんて・・・・
自分を責めない日はありませんでした。
でも、これはまた別の話になりますが、私には父親が壮絶な癌闘病の末、最後の最後まで生き抜く姿を自分に見せてくれた過去があります。
なので、辛いけど、我が子の後を追うのは絶対に違うと、思いました。
この子にはもう何もしてあげることが出来ない。
だからもしも将来、この子の兄弟か姉妹を授かれたら
この子の分も、その子をたくさん抱きしめてあげるんだ。
そう誓って、それを支えに前を向きました。
この時、2回目の出産も早産になってしまったけれど
それでも蘇生してもらえて、小さいけれどひとまず後遺症もなく元気に育っているだけで、これ以上は無いと思いました。
おうちで一緒に過ごせなくても
病院でお世話をしてあげられるだけで、
抱っこができるだけで、私は幸せでした。
そんなお兄ちゃんが元気いっぱいの1歳半になった頃に3回目の妊娠。
現在1歳になる弟くんを授かります。
3回目の妊娠期間も、やっぱり簡単にはいきませんでした。
妊娠発覚とほぼ同時に出血し、切迫流産の診断。
後期流産、早産を経験している私は
「産むまで安静」を言い渡され
そこから約7ヶ月間の安静生活が言い渡されます。
幸いにして入院は回避したものの、健診以外にも毎週診察に来るように言われ、毎週入院の準備をして通院していました。
そんな安静生活を経て
弟くんは妊娠37週、正期産に入ったその日の朝に生まれました。
予定日より少し早かったけれど、
3172gと大きめに生まれた弟くん
黄疸治療で退院が延びたものの
私の退院2日後におうちにやって来ました。
私は、3人目にしてはじめて
おうちで新生児と過ごせる喜びを噛み締めました。
弟くんは黄疸気味だったので
黄疸には紫外線をあてるのがいいと聞き
陽のあたるベランダ前に寝かして
おうちでのひと時を過ごしていました。
あたたかな陽射しを浴びて、すやすやと寝息を立てて眠る弟くん。
呼吸で上下している胸。
時々むにゃむにゃと動くおくち。
あったかくて、やわらかくて、幸せな
なんて尊い時間なんだろう…と…
ずっとこの光景を見ていたい
このまま飾っておきたい
そう思い、私は夢中でカメラのシャッターを切りました。
我が子のお世話ができなかった死産
新生児期を病院で過ごした早産
この経験をした私にとって
おうちで新生児と一緒に過ごせることは
すごく貴重で特別なことなのです。
子育てはマニュアル通りにはいかないし、
もちろん大変なこともたくさんあります。
でも、人生のスタートを切ったばかりの
ほやほやな我が子と過ごせるのは今だけ。
そして、あの時あんなに愛おしい、尊いと感じていた想いでも
日々の生活に忙殺されているうちに
知らず知らずのうちに忘れてしまうものなのです。悲しいことに。
だから
今だけの姿、今だけの空気感、今だけの想いをカタチに残すお手伝いがしたい。
その想いこそが
私がニューボーンフォトグラファーになった背景です。
ニューボーンフォトグラファーになりたい!
そう思った私は
1歳に満たない弟くんと、やんちゃに成長した2歳兄を抱えてニューボーンフォトの学校を探して入校。
赤ちゃんの扱い方、おくるみの巻き方、どうすれば赤ちゃんが安心するか、どう撮れば赤ちゃんが可愛く映るかを学び、出張撮影のお仕事をはじめました。
子育ては十人十色。
ママ達はそれぞれの悩みを抱えています。
はじめての育児で不安なママ
上のお子さんを抱えての新生児育児に奮闘するママ
これをご覧いただいた方の中には私と同じく
早産で産んでしまって自分を責めるママ
死産を乗り越えてレインボーベビーをご出産されたママもいるかもしれません。
私はそんなママ達の支えになるニューボーンフォトを撮りたいと思っています。
今しか見られない尊い時間をカタチに残す
いつかカタチに残った写真を見返した時に、
あの時の想いがふっと蘇って来るように・・・
ニューボーンフォトは
きっとママ達がこれからの育児で悩んだ時に
ママ達の事を支えてくれるはずです。
そんなわけで…
最初に
“早産・低出生体重児の育児経験あり
誰よりも新生児期の尊さを知る
ママフォトグラファー”
…と名乗りましたが、本当は
“死産・早産・正期産 の3回の出産経験あり
誰よりも新生児期の尊さを知る
ママフォトグラファー”
…なのです。
お空にいる息子が教えてくれた想いを無駄にすることのないよう
小さく生まれて頑張って大きく育ってくれたお兄ちゃんと
新生児期をおうちで過ごす幸せを教えてくれた弟くんに
「うちの母ちゃんは、赤ちゃんを最高に可愛く写真を撮るカメラマンなんだ!ママたちを幸せにする自慢の母ちゃんなんだ!」
と、思ってもらえるように頑張ります!
死産・早産・正期産を経験し
新生児期の尊さを誰よりも知っている私だからこそ、
たとえ早産で産まれたり、入院が長引いて新生児期が過ぎてしまっていても
小さな赤ちゃんでも、大きな赤ちゃんでも
この一瞬を写真に残したいという気持ちがあるのなら・・・
赤ちゃんが新生児期を過すいつものおうちの『自然光』と
赤ちゃんを包む『家族のぬくもり』を感じられる
いつ見ても、家族を幸せな気持ちにする『おうちニューボーンフォト』を
どんな形でも、必ずお届けすると約束します!!!